余り好きな表現手法では無いのだが、
もし?。。。ならば,,,
の話をしよう。
昨日書いた記事では、
表現しきれない想いを書いてみるとする。
もし?
私が先に逝き、
妻が後に残っていたとしたならば,,,
きっと妻は、
悲観の嵐の中で、
苦しむ時期があったろうと想像する。
悲しみ・苦しみを背負い、
後悔や、怒りの念も持ったかもしれない。
少なからず、
一定の期間は、
通常でない精神状態が続いた事だろうと想像する。
そして、
私は、
あらゆる束縛から解放され、
自由で安らかな境涯へ行ける事が解っていながら、
間違いなく、
現世・妻の傍を片時も離れず、
歯痒さの中で、
傍で見守り続けていたに違いない。
一時も離れず、
傍で見守り続けていたに違いない。
妻が、
悲しみと、苦しみと、孤独と、怒りと、
後悔の感情で圧し潰されそうになっているのを、
唯々、
傍で見守り続けていたに違いない。
妻に、
笑顔と安らぎの時が訪れるまでは、
妻が、
再び、立ち上がり人生を謳歌するその瞬間までは、
妻が、
日々、笑顔で幸せな陽だまりの中にいると確信するまでは、
妻の旅立ちの瞬間まで、
傍で、
見守り続けていた事であろう。
例え、
その行為が、
宇宙の法則・摂理に反する行為だとしても、、
何らかの罰を伴う行為だとしても、、
浮遊霊として、
忌み嫌われる存在と化してでも、
私は、
全てを無視して、
妻の傍で見守り続けていた事であろう。
だから解る!
妻を、その立場にしてはいけない!
妻を、その思いに絶対にさせてはいけない!
妻は、今生を美しく凛々しく生き切ったのだ!
自由で安らかで幸せな境涯へ行かなければならないのだ!
”私は、大丈夫である!”
”私は、日々笑顔で平安である!”
”私は、幸せに人生を謳歌している!”
”私の事は心配いらない!”
私も、お前に負けぬよう、
人生を謳歌し、凛々しく生き逝ってやる!
私は大丈夫だから、、、、
お前が幸せなら、
私は、
大丈夫だから、、、、