世に言うマインド・リーディングとは読心術、といって、それは主に相手の意識の世界を読み解こうとする試みのことである。
一方で無意識を読むことは、精神療法の話である。
相手にあいたいしたとき、まずはじめに相手の振る舞いを見ること、その次に相手の言うこと(発話)を聞くこと、そして次に相手の意識を読むこと、そしてさらにその無意識の世界を読もうとすること、という四段階があると思う
そして、えてして人というのは首尾一貫しておらず、その段階段階に応じてバラバラだったりするのである。
「言っていることとやっていることが違う」とは人を批判するときによく言われる言葉である。
なぜひとはバラバラなのか。それは、周囲をだますためであり、それにより自分に状況を有利に働かせるため、さらには、生き延びるため、そしてそのような自分自身をだますためである。
一般的にいって、思いは発話には現われない。嘘をつくことは、簡単だ。
好きでもない人に向かってただ、「好きです」と言うのは、たやすい。
しかし思いは行動に現われる。
好きですと言うのに決して会いに来ようとしないとか、連絡もよこさないとしたら、なんで、と言われた人は思うだろうが、要するに本当は好きではない、ということなのだ。
世間では言っていることとやっていることが違うのは当たり前のことだ。しかし、思っていることとやっていることが別の人間は、まれである。
そして、その思いとはまた二種類に別れ、一つが無意識、一つが意識である。
たとえば、いくら意識で「俺は自由だ」と思っていても、無意識レベルで既存の束縛(たとえば家、とか。)から解放されていなければ、自由とはいえない。
そして意識をコントロールすることは比較的簡単でも、無意識をコントロールすることには耐えざる抵抗の努力が必要だ。
それは、水が低きに流れようとすることに抗い続けることと似ている。
それをキリストは、「常に目覚めていなさい。」と言った。
抗い続けなくてはいけないのである。
修行というのはそのようにして無意識レベルで自らをコントロールするための訓練である。
それほど無意識とは、コントロールを手放すとあっというまに既成の秩序に飲み込まれてしまうのである。