一年の計は元旦にあるかはわからぬが、今日から数日は仕掛りノベルの修正をしないと。

といっても明日からはもう受験生のかてきょーが始まってしまう。都内私立中は 2月1日が殆どだが千葉埼玉や愛知県の海陽など12月から始まり1月メインだったりする。都内から埼玉千葉通いは結構過去にもある。

だから明日から。4日には夜8時からやらねば。

忙しくなる前に纏めておこう。

幸い12月に自ら処方を望み処方箋書いてもらった薬がかなり効いてるかな。

もうこの年になれば自己管理にすべてが掛かる。
気功や整体では治療という言葉は使えない。日本で治療という表現は医者以外使えないのだ。

明治時代東京帝大心理学教授福来友吉博士が専門であった変態心理学(異常心理学)の流れで催眠を学びそれを東京帝大医學部付属病院に通院していて改善せず、福来博士の催眠を人伝に聞いて訪ねて来た人達に用い、悉く治してしまったことから福来博士は医學部スタッフの怨みをかい、大学当局は圧力をかけられ福来博士の大学への出勤を無期限で制限しそれが2年にも及んだことから経済的にも困窮した博士は泣く泣く東京帝大を去る決意をしたのだ。

東北大学入学時にはまだこの福来博士の名前は知ってはいても大学とあった確執について知らなかった僕は学部専攻毎のオリエンテーション時に交通心理学で違反更新の際また見せられたビデオでお目にかかることになった丸山教授に超心理学をやりたいと言ってブーッとか思い切りバッテンされた。僕は泣く泣く当時犯罪心理学の世界的に注目されてる権威の阿部教授もいた心理学を入学直後に諦めるかもという危機に立たされた。

ただ社会学においては主任教授で人種論なんて珍しいのをやっていた自ら沖縄生まれでそこに入り込む理由を持ちすぎていた家坂教授の退官が迫り、social systemやfunctionalismで有名かつ戦後アメリカ社会学最大の雄であったタルコット・パーソンズ研究の第一人者であった佐藤勉助教授の昇格と空く助教授ポストに東北大学の先輩で当時大阪大学助教授をしていた当時既にシンボリック相互作用研究の第一人者で船津衛氏の母校凱旋がほぼ決まりつつあったこと。

そしてもうひとつ迷っていた言語学にも当時の象形文字と楔形文字の解読における世界の第一人者と言われたまだ30代で教授になっていた生え抜きの西田先生がいたのだが…西田先生も僕が学んだ社会学の船津衛先生も