以下コピペ


漱石以前

上記、「世界一受けたい授業」の説明中で、漱石以前には「肩が張る」と言っていた、ともある。


たしかに、「肩が張る」がよく使われてるが、ほかに「肩がつかえる」「肩がつまる」もある。『山口剛著作集6』の「肩の凝ものがたり」*2では、『心中重井筒』の「肩がつかへた」が見えるが、日本国語大辞典でも狂言記などの用例が見える。「肩がつまる」の江戸期の用例も日本国語大辞典にある。なお、近代の「肩がつまる」は関西系の用例が目につくが、宮本百合子(東京生まれ)の用例も青空文庫で見つかる。


さて、「肩がこる」である。日本国語大辞典では近代の用例しか載せないが、江戸時代のものがある。


奈河亀輔『伊賀越乗掛合羽』十一段目(新日本古典文学大系『上方歌舞伎集』ISBN:4002400956 p353)

吉(おかな) きつう肩《かた》が凝《こ》つて有《(ある)》さふに厶《(ござ)》り升《(ます)》。
来(金助) サア、その心遣《こゝろづか》いで肩《かた》も凝《こ》る筈《はづ》。様子《よふす》を言《い》ふて聞《き》かしさへすりや、肩《かた》のつかへもさらりと下《さ》がる。
安永頃の作品だから、漱石の生まれる90年ほど前。「肩が凝る」と「肩のつかへ」が出来るわけである。これは上方だが、江戸の用例を次に。


式亭三馬『四十八癖』三編(新潮古典集成isbn:4106203529 p316)

本が、ヤ、わたしも好きだが、つゞけては毒だ。折ふし休み/\読まぬと、肩が張つて凝つてわるい。
三編は文化十四年。


「肩が張つて凝つて」ということだから、「肩が張る」と「肩が凝る」は違った意味なのだろうが、ここにも、漱石以前の「肩が凝る」が見つかった。文学作品の中でも、漱石以前に使っていた人が居るわけである。

(歌舞伎や滑稽本は文学ではない、というツッコミはここでは無しにしてください。「伊賀越乗掛合羽」は新日本古典文学大系所収ですし、「四十八癖」も近代日本文学大系*などに収められています*3。)