最近よく、シロートはブログを書けば書くほど害悪ではないかと思ってしまいます。

 

当然中には例外もあって、実際の組み付けなどの作業や、シロート目線からのレビューはなかなかに参考になるものが多いですし、意味のあるものだと思います。ただし、これはその記事の内容が完璧ではない事に価値が発生しているのであって、様々な事例に対して一般ユーザーが経験した失敗例などが積み重なり、第三者が同様の作業を行う時に失敗を予防しているのです。当然これは有意義な事です。

 

 

しかし、僕の記事のようにシロートがシロート目線で、事柄に対して思う事を述べるだけでは、それは絶対的な真実とは言えない為不正確な情報が蔓延するだけのように思えてきたのです。例えば以前書いた「手組みホイールの最終回答」なる記事で書いたホイールの組み方は、今となっては最終回答ではないのであの記事は結果的にウソを書いた事になりました。当然僕としては当時は最適なつもりでいたのですが、時間が経ったら変わってしましました。

 

あの記事が真実かどうかは発表当時から読者に委ねられていますが、僕と同レベル以下の知識量を持った人があの記事を読んで納得したとしたら、騙されたと言って過言ではありません。

 

 

 

 

こうなってしまったら、書く事は既成事実のみの報告ブログに徹するのが一番気が楽です。過去に書いた不確定要素を含む記事を全削除し、「〇〇に行ってきた。雨が降ったので雨宿りした。帰ってサイコンを見たら平均時速は30km/hだった。足の調子が良かったのだろうか。明日も頑張ろう」みたいな記事ばかりを残せばいいのです。

 

 

 

 

 

正気か!!バカヤローーーーーー!!!!!

つまんねーだろ、そんなクソ記事!!

 

写真が上手い、文才がある、記事に一手間加えてる、商品のレビュー、研究的に同じ事を繰り返す、なかなか行けない所に行ってみた、、、そんな条件もなく、ただ近所を走り回っただけの赤の他人の当日の報告など僕はそれこそ価値がないと思ってます。仮にデタラメばかり書いていても、そこに新規のアイデアや発展性があれば一見に値すると思うのです。言っておきますがコレは本気で書いており、僕の頭の構造は実際この通りです。

 

 

しかし、問題はコレではすみません。僕がどう思っていようと、僕の頭がどれだけヒネくれていようと、社会には求められるモラルというものがあり、その常識からいうと嘘を垂れ流すメディアは閉鎖されて然るべきです。当然その裏には嘘に気づけない人がいて、その人への配慮が求められているからです。少なくとも今の日本のネット社会、自転車界は個人のブログでさえそれを求めているように感じます。

 

ではこの先僕はどうすればいいのか、、、やる事は簡単です。

僕の信念と社会常識が一致しない中でも、社会常識を優先することぐらいは僕だって分かります。しかし信念を曲げるつもりはないので、ブログには備忘録的に書かれた既成事実の羅列記事を増産すべきです。ただご存知の通り、僕には文才もカメラの腕も見栄えする観光地に行ける金もありませんが。

 

 

 

 

 

 

 

この先どうするかは少し考える事にします。とにかく、このブログの最大の誤算は、読者が増えすぎたという事です。倫理的に、頭に浮かんだ事を好き放題書けなくなりました(「倫理的に」は「書けなくなった」に掛かってます)。一日数百人もの人を騙している可能性は拭いきれません。

 

 

 

寛容であるという事がどれだけ大事かこれほど身に染みた事はないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に

お会いしてさえいないのに、師として仰いできたサイメン飯倉氏。意見が同じであるかは問題にせず、その考えのプロセスに学ばされていましたが、昨日のツイートに僕はどうも納得がいきません。辛口意見も飯倉節ですが、これに関しては本文を読んでいないとしか言いようがありません。もし本気であのように思ったのなら、僕はその読解力の無さと多様性の低さに呆れます。

この人を先生と呼ぶのは流石にイヤになりました。

 

ツイートはブラウザからも見れます。

 

 

 

 

 

以上、ネットなんてどの記事も話半分で見て、騙されないようにするために趣味の事でも何でも自分で考えて自分で行動できるようになりましょうという意見でした。(この一言を書かなきゃ言いたい事が伝わらないんだろうな。。アー ナサケナイ)