先日被災地の医療ボランティアから帰ってきたマイミクさんの日記を、そのまま載せます。
離れた場所で、変わらない日常を過ごしている私には、分からないことが沢山あります。
だからこうして伝えてくれたことに感謝します。
『無事に石巻から戻ってきました。
滞在中も地震が頻回で震度5の地震が何回かあって本当に怖かったです。そして今でもまだ常に大きく揺れています←地震酔いっていうの?
帰ってきてからも毎日被災地の夢を見ます。やっぱりそれだけ衝撃的だったんだろうな...
当初の予定では、私たちは車中泊だったんだけど、石巻の先生の実家に泊まらせてもらえることになって、なんとか雨・風しのげることに。ただそのお宅も断水してるため、早朝より雪の中ポリタンクを持って湧水汲みに行き一日が始まる。食事は自炊で、缶詰とかレトルトとか、あとはひたすらカロリーメイトとかソイジョイ←大量に支給された
もちろんお風呂なんて入れません。そんなサバイバル生活でした。
私が出発した時は東北道は栃木ぐらいから緊急車両以外は通行禁止になっていて、走ってるのは、自衛隊、消防、救急車、警察車両、支援物資の運送トラックのみ。見たことない異様な光景に本当に非常事態なんだという緊張感
と、ここを走ってる人たちはみんな被災地に向かってるんだと思うと安心というか、勇気が出てきました。
高速も進むにつれて段差があったり、線路の電線が切れて柱が傾いていたり徐々に被害が見えてきて。石巻に入るとまず道路は渋滞。翌日の給油待ちの列と瓦礫が積み上げられているのとで渋滞してました。給油待ちが前日の夕方からって...
町はどこもかしこも泥だらけ。ただの泥ではないらしくて、船や車の油も混ざったへどろみたいなものらしいです。積み重なった家や車。道路に転がる大木や船。瓦礫の山。ありえない光景が進んでも進んでも続いていました。
あまりの悲惨さに言葉を失いました。
石巻は市立病院が津波の被害にあって、先生も看護師も患者さんと一緒に避難所にいて、機能しているのは石巻日赤病院だけでした。とにかく日赤の指示に従って動いてくれということでヘリ搬送と避難所の回診を割り当てられました。ヘリは結局待機で終わりましたが。日赤のスタッフも不眠不休だったんだろうな...スタッフが点滴してました...
避難所はいくつもあってまだまだ日赤も保健所も把握できていないようで、行ってみると情報と全然違ってたりしました。避難所によって恵まれてる所と劣悪な環境のところと差がありました。食事はパンやおにぎりが1日2回配られ、給水車がきて、仮設トイレが設置されて毛布や衣類が到着してやっとなんとか最低限が入ってきたという状況。
でもまだまだ足りません。情報も入ってきません。テレビがある避難所はまだ情報が入ってくるけど、ないところは本当に情報がないの。ラジオは電池がなくて使えてないんです。
まだまだ水が引けてないところ、満潮になると水が上がってきてしまう避難所もありました。当然避難所の中もドロドロ。だいたい学校が避難所になっていて教室が避難所で使われて、体育館が遺体安置所になっているところもありました。なんかせつなかった...体育館の入口はブルーシートはられてたけど、自衛隊の人たちが来て収容してるのか、なんとなくわかってしまう。被災者さんたちどんな思いで見るんだろう...でもそれに配慮してあげられる状況にないんだよね。
そして、ある被災者さんから言われた言葉。
遺体安置所で自分の家族だと確認できても連れて帰ってあげられない人がたくさんいる。
連れて帰りたくても連れて帰る車もガソリンも場所もない。
だから行政が行う土葬にしてもらうしかない。
連れて帰ってあげられるのは幸せだって。
幸せってもはやそんなレベル??って私ほんとに衝撃でした。
いまだに海の中や瓦礫の下で見つけてもらえない人もたくさんいるから、見つけてもらえただけまだ幸せなんだって...
こんなに悲しいことがあるんだね...
他にもたくさん、あまりにも悲惨で辛いお話いっぱい聞きました。これからのことはもちろんのこと、みんなの心の傷が心配です。それだけ辛い思いして大変なのに『遠いところから来てくれて本当にありがたい』『あなたたちごはんは?』なんて私たちのご飯を心配してくれる人もいました。所詮私には帰る家があって東京帰ればふつうに生活できて...本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
避難所の多くは学校のため3月いっぱいで閉鎖するところがほとんどと聞きました。でも仮設住宅もまだできてないこの現状で、避難所の方たちはどうなってしまうんだろうって気がかりでなりません。
本当にまだまだ大変なんです。お金も物資もマンパワーも足りないんです。
私ももう一度ボランティアで行ければと思っていますが...
なんだか何から書いていいかわからなくて、まとまらなくて、長々と書いてしまいました。すみません...暗い気持ちにさせてしまったかな...?
少しでも被災地の現状をお伝えしたかったので。
私たちはここでできることをしましょう!!少しぐらいの不自由さは我慢しなくちゃね!!みんなで心をひとつに...
最後まで読んでくれたみなさんありがとうございました。 』
被災地の方達は今日、明日をのりきることが大変。
この先何年もきっと大変。
元のように生活出来るまで何年もかかる。
被災してない私達はそれを忘れないことが大事やと思います。
PFJはみんなの気持ちを一つにすること、元気を与えること、忘れないこと、色んなことにすごい有効な手段やと思います。
もし街中でPFJ活動してる人がいたら協力してほしいです^^
Pray for JAPAN
Pray for ALL
離れた場所で、変わらない日常を過ごしている私には、分からないことが沢山あります。
だからこうして伝えてくれたことに感謝します。
『無事に石巻から戻ってきました。
滞在中も地震が頻回で震度5の地震が何回かあって本当に怖かったです。そして今でもまだ常に大きく揺れています←地震酔いっていうの?
帰ってきてからも毎日被災地の夢を見ます。やっぱりそれだけ衝撃的だったんだろうな...
当初の予定では、私たちは車中泊だったんだけど、石巻の先生の実家に泊まらせてもらえることになって、なんとか雨・風しのげることに。ただそのお宅も断水してるため、早朝より雪の中ポリタンクを持って湧水汲みに行き一日が始まる。食事は自炊で、缶詰とかレトルトとか、あとはひたすらカロリーメイトとかソイジョイ←大量に支給された
もちろんお風呂なんて入れません。そんなサバイバル生活でした。
私が出発した時は東北道は栃木ぐらいから緊急車両以外は通行禁止になっていて、走ってるのは、自衛隊、消防、救急車、警察車両、支援物資の運送トラックのみ。見たことない異様な光景に本当に非常事態なんだという緊張感
と、ここを走ってる人たちはみんな被災地に向かってるんだと思うと安心というか、勇気が出てきました。
高速も進むにつれて段差があったり、線路の電線が切れて柱が傾いていたり徐々に被害が見えてきて。石巻に入るとまず道路は渋滞。翌日の給油待ちの列と瓦礫が積み上げられているのとで渋滞してました。給油待ちが前日の夕方からって...
町はどこもかしこも泥だらけ。ただの泥ではないらしくて、船や車の油も混ざったへどろみたいなものらしいです。積み重なった家や車。道路に転がる大木や船。瓦礫の山。ありえない光景が進んでも進んでも続いていました。
あまりの悲惨さに言葉を失いました。
石巻は市立病院が津波の被害にあって、先生も看護師も患者さんと一緒に避難所にいて、機能しているのは石巻日赤病院だけでした。とにかく日赤の指示に従って動いてくれということでヘリ搬送と避難所の回診を割り当てられました。ヘリは結局待機で終わりましたが。日赤のスタッフも不眠不休だったんだろうな...スタッフが点滴してました...
避難所はいくつもあってまだまだ日赤も保健所も把握できていないようで、行ってみると情報と全然違ってたりしました。避難所によって恵まれてる所と劣悪な環境のところと差がありました。食事はパンやおにぎりが1日2回配られ、給水車がきて、仮設トイレが設置されて毛布や衣類が到着してやっとなんとか最低限が入ってきたという状況。
でもまだまだ足りません。情報も入ってきません。テレビがある避難所はまだ情報が入ってくるけど、ないところは本当に情報がないの。ラジオは電池がなくて使えてないんです。
まだまだ水が引けてないところ、満潮になると水が上がってきてしまう避難所もありました。当然避難所の中もドロドロ。だいたい学校が避難所になっていて教室が避難所で使われて、体育館が遺体安置所になっているところもありました。なんかせつなかった...体育館の入口はブルーシートはられてたけど、自衛隊の人たちが来て収容してるのか、なんとなくわかってしまう。被災者さんたちどんな思いで見るんだろう...でもそれに配慮してあげられる状況にないんだよね。
そして、ある被災者さんから言われた言葉。
遺体安置所で自分の家族だと確認できても連れて帰ってあげられない人がたくさんいる。
連れて帰りたくても連れて帰る車もガソリンも場所もない。
だから行政が行う土葬にしてもらうしかない。
連れて帰ってあげられるのは幸せだって。
幸せってもはやそんなレベル??って私ほんとに衝撃でした。
いまだに海の中や瓦礫の下で見つけてもらえない人もたくさんいるから、見つけてもらえただけまだ幸せなんだって...
こんなに悲しいことがあるんだね...
他にもたくさん、あまりにも悲惨で辛いお話いっぱい聞きました。これからのことはもちろんのこと、みんなの心の傷が心配です。それだけ辛い思いして大変なのに『遠いところから来てくれて本当にありがたい』『あなたたちごはんは?』なんて私たちのご飯を心配してくれる人もいました。所詮私には帰る家があって東京帰ればふつうに生活できて...本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
避難所の多くは学校のため3月いっぱいで閉鎖するところがほとんどと聞きました。でも仮設住宅もまだできてないこの現状で、避難所の方たちはどうなってしまうんだろうって気がかりでなりません。
本当にまだまだ大変なんです。お金も物資もマンパワーも足りないんです。
私ももう一度ボランティアで行ければと思っていますが...
なんだか何から書いていいかわからなくて、まとまらなくて、長々と書いてしまいました。すみません...暗い気持ちにさせてしまったかな...?
少しでも被災地の現状をお伝えしたかったので。
私たちはここでできることをしましょう!!少しぐらいの不自由さは我慢しなくちゃね!!みんなで心をひとつに...
最後まで読んでくれたみなさんありがとうございました。 』
被災地の方達は今日、明日をのりきることが大変。
この先何年もきっと大変。
元のように生活出来るまで何年もかかる。
被災してない私達はそれを忘れないことが大事やと思います。
PFJはみんなの気持ちを一つにすること、元気を与えること、忘れないこと、色んなことにすごい有効な手段やと思います。
もし街中でPFJ活動してる人がいたら協力してほしいです^^
Pray for JAPAN
Pray for ALL




















で、またK-POPトークww





雨が止めば今日からPFJ活動始めようと考えてましたが、本日海苔巻は半端なくお腹が痛いのです(ーー;)
