和歌紀行2:後醍醐天皇(奈良県吉野郡吉野町) | WALKING SHADOW

WALKING SHADOW

全ての旅は一度きり。

御心を 吉野にいたみ けふ想ふ 

九重明かし 塔の尾暗し

 

2015年10月29日。南朝の本拠地、吉野へ行って参りました。

元々吉野は初めてだったので単純に回ったのですが、今回は後醍醐天皇関連に絞ります。

(追記。冒頭の和歌は筆者によるものです)

 

吉水神社。南朝の皇居と言えます。

看板の通り秀吉や家康一行も訪れており、彼らが歴史をよく学んでいたことがうかがえます。

 

 

 

 

玉座を始め南朝グッズは勿論、亡命した義経主従や秀吉一行の持ち物がひしめき合っており、さすがは世界遺産といったところですね。

 

次は後醍醐天皇の歌碑をいくつか。どれもなんとなく似ているのは気のせいでしょうか(笑)

 

そして後醍醐天皇といえば陵墓のある如意輪寺です。

かなり歩きますが南朝ファン必見ですね。

 

 

 

後醍醐天皇はここ如意輪寺にひ孫の世泰親王と共に眠っています。

天皇は国を治める者なので陵墓は南向きに造られています。「日本」ですしね。

しかし後醍醐天皇のみ例外で、遺言の通り北、つまり京の都を向いています。

死後のお情けとして南を向かされても、自分の治めたい都はそこにはない。

さすがは幾多の困難を乗り越え歴史を変えた天皇、考え方がひと味違いますね。

「プライド」の一言で片付けるにはあまりも勿体ないと思います。

 

 

 

 

 

こちらは以前紹介した桜井の駅の像。直接は関係ありませんが、有名だからでしょう。

楠木正行(息子)は如意輪寺の後醍醐天皇陵に詣で、寺の扉(現存)に辞世の歌を刻んだとされます。

その後、四條畷の戦いで彼は戦死することとなります。

 

 

暑苦しい話にも疲れたので、最後は癒やしの一枚で。