フハハハハハ
どうも吾輩ゴリゴリ文系霊長類である。
フハハハハハ
そんな吾輩が数学的な話でもしようと思うのである。
フハハハハハ
歴史好きの吾輩観点である
フハハハハハ
ににんがし!の「ん」がいつから使用されたかの話である
フハハハハハ
嘘である
フハハハハハ
フ×ハ×ハ×ハ×ハ×ハはなんとびっくり
65536
なんの意味もないのである
フハハハハハ
ということで中学高校と厄介な問題を出題していきやがったまったくもってフハハハハハな人たちのフハハハハハ。
古代ギリシャ数学。
ギリシャといっても今より広大な地域をフハハハハハしていたのである。
初期は紀元前600年から前440年頃、南イタリア、イオニア今のトルコあたり
盛期は前440年~500年頃、アテナイ、アレキサンドリアあたり
初期は資料を残す文化がなかったのか、パピルスが希少だったのか、、、ほんまのことはようわからんのである
伝承の時代としての歴史話をフハハハハハ。
当時学術においてはエジプトが圧倒的でタレス、ピュタゴラス、エウドクソス、プラトンなんかのそうそうたるメンツが学びに行ったそうな。
イオニア派のタレスはギリシャ七賢人の一人で記録に残された最初の哲学者、ほいでもって政治家
二等辺三角形やら円やら言うてるけどどう発見されたかは不明。
イタリア派のピュタゴラスは数学者かどうかも不明。
有名な「万物は数である」ってのも実際不明。
宗教的政治的には有名なんだけどフハハハハハ。としか言えないとこはあるよね
盛期はアルキメデス、ヒポクラテスなんかの目覚ましい活躍の時代であるのだ。フハハハハハ
アテナイのアカデメイア、アレキサンドリアのムセイオンといった高等学術機関も設立されたりで。
なんか聞き覚えないかえ?
夢精音じゃないよ。キャッ☆
アカデミーにミュージアムの語源はこやつらですよ
既に図書館もあって50万冊程あったらしいよ。フハハハハハじゃね?
今は跡形もないけど。
アカデメイアの入り口には「幾何学を学ばざる者入るべからず」byプラトン
現代人ほとんど入れねえよ。
語源ついでにギリシャ語のマテーマティカ
マンタノー=学ぶ→マテーマタ=学ばれるべきもの→マテーマティカ
英語じゃmathematicsになるわけである
当時じゃ数論、幾何学、計算術、計測学、光学、音楽理論、機械学、天文学
こういったもんは市民として当然学ぶべきものと考えられてたんだね~
死んじゃうよ。笑
そりゃもちろん目的があったわけで、日常生活、軍事用、知性の訓練。
プラトンが「国家」の中で証明、論証が知性の訓練になるつってんだよね
今じゃ可能やけど数学ってのはこの世に存在しない真の三角形、平行線、円の探究であり永遠の真理を認識する訓練になるんだ。
この考え方は現代まで大いに続いているのである。
そこから数学のための数学。
発展研究のために実用を超越したバケもんみたいなやつ
数学というものが社会から独立する傾向はこういうとこにあるのかもね
というわけで吾輩の好きでも嫌いでもないアルキメデスの話をしようと思うのだがどうであるか?
書くのは吾輩であるからして聞く意味はないのであるがな。
フハハハハハ
父は天文学者、シュラクサイ(今のシラクサらへん?)でヒエロン王の統治のもと平和に暮らしてたんだそうな
やがてローマとの戦争勃発。
ローマとしては軍事技術者でもあるアルキメデスは実に有能な人材で生け捕りを命じられていた。
戦乱の最中アルキメデスは地面に幾何学模様を描いて研究に没頭していた。
そこへローマ兵士がやってきた。
「私の円を踏むな!!」
とブチ切れたアルキメデスにブチ切れたローマ兵士が殺してしまったという。。。
まあそれはそうとしてほんとに逸話の多いおっさん。つまりそれほどのおっさんだったんだろう。
砂粒を数える者というお話。
問題!デデン!
宇宙全体に砂を満たすには何粒必要でしょう?
チッチッチッチッチ
ブブー
無限あるいは無際限という考え方、無限個程ではないがそのような大きな数を表記する方法がないという考え方
アルキメデスは後者でガチで考え出しちゃう。
これに当時の天文学の知識を総動員して宇宙の広さを測定しちゃう。
10の63乗よりは小さいだろうと計算しそれを表記する方法編み出しちゃう。
アラビア数字がない時代に指数理解してるわ10の8京乗まで計算しちゃってるからね
どんな脳みそしてんだよ
まさに数学のための数学だ
古代ギリシャじゃ無限は有限の対概念というわけじゃなく有限の否定として捉えられてたから無限の考え方は避けられてたんやけどもこれを問題にせずに推し進めた研究姿勢。
ここだね
415年頃の女性数学者ヒュパティアの死をもってギリシャ語で独創的な数学作品はなくなって古代ギリシャ数学の終焉とされる。
背景として西ローマ帝国の実用数学志向、政治、宗教的な混乱。
語り出したらまた長くなるから省くけど戦争が多発して学術の研究より精神の救済、宗教的事柄に社会の関心が移っちまったんだな。
そんな時代の趨勢においても東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルでは盛期の作品の編纂、書き写しが行われたんよね。
おかげさまで現代でもこうして吾輩が知れるのである。
このビザンティオン期の編纂は中世アラビアに伝わりアラビア数学発展の材料に、ルネサンスにともないラテン語翻訳されイタリアに、おじいさんは山へ角刈りに、おばあさんは川でセンター分けに。
こうしてどんぶらこ~どんぶらこ~と今まで流れてきたわけだ
創造的なものを作り出した人はもとより、それを後世に残した人というのも素晴らしいよね~ん
というお話でした。
ハフフフフ~