こんにちはアメブロ。

 

 

 

今日は長野県の安曇野市に来ました。

昨日ふと、温泉に行きたいな。という思いが湧き上がり、それならあの国立公園に行こうと思ったので、それを実行したというわけです。

 

 

車にマウンテンバイクを乗せて、バックパックに着替えを詰めて朝を待つことに。

 

 

行くと決めると次の朝が待ち遠しくなってしまって落ち着かず、眠れそうもないことを悟ってしまったので夜2時に自宅を出発し、朝の5時に到着しました。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

到着すると、まずは一ノ瀬牧場に向かいました。

この場所は子供の頃から両親と毎年訪れていた場所です。

当時たくさんいた牛も今はいなくなってしまって、牧場の名前だけが残っています。

 

 

 

着いて感じたことは、やっぱり好きということ。

 

 

 

 

 

 

僕は、好きかとっても好きかしかないという生き方です。それ以外は知らない。その好きととっても好きの中のとっても好きにこの場所は分類されます。それはなぜなのかというと、理由は自然のその様。なぜこんなにも個々の自然が美しく見えるのかの理由は色々とあり、水がきれいだったり、緑が生き生きしていたり、そもそもの標高が高い、太陽の力などが挙げられます。そして、この全体が国立公園である。国の公園。これは日本の公園だから残したい。残すための手伝いがしたいというのが僕の結論です。

 

 

 

 

 

 

「やっぱり僕はこういうところにいる方がいいな」と思えた自分、そして今まで色々な経験をしてきた自分を自然と褒めたりしていました。

 

 

 

そして、「住むとしたら」なんてことを考えながら温泉に入り、インターネットサイトで宿を探して、一軒の宿を見つけました。するとその宿は、川を渡った向かい側の場所にあることがわかりました。それならばと、直接伺って交渉することにしたのです。だって、すぐそこにあるのにインターネットを使って予約するなんて逆に不便だなと思ってしまったからです。この思考も自然の力によって精神が整ったからでしょうか。

 

 

 

 

 

 

ログハウスのその宿の扉を開け、「ごめんくださぁい」というと、奥から女性が出てきました。「直接来てしまって驚かせてしまったらごめんなさい」と切り出し、今夜泊まりたということを伝え、ことの経緯をご婦人にお話しすると、快い快諾を頂戴しました。

 

 

 

 

婦「夜ご飯はどうなさいますか?」

 

僕「んー。なんとかしますよ大丈夫です(食べない時もあるし)」

 

婦「なんとかするって(どこもやってないわよ。スーパーもないし)」

 

僕「お蕎麦食べてきますよ。大丈夫(こういえば少しは安心するかな)」

 

婦「ちょっと聞いてみる(今3時だから用意できるわ)」

 

 

と言ってポケットからスマホを取り出し、電話をし始めました。

 

 

「お友達の宿に聞いてくれるなんて優しいなぁ」と僕は思ったのだけど、その相手はご主人で、今は街に降りているとのこと。その時僕は、きっと買い物をしてきてくれるんだなと悟りました。つまり、ネットの情報では「夕食なし朝食付き」なのです。

 

 

 

 

そして、電話を切るとご婦人は「お夕飯の用意ができます。夕食は18時からですからね」と言いました。

 

 

 

 

なんたること。

 

ほんまけ。こんなことあるん?

 

 

 

 

夫人の目は明らかに愛のある目をしており、同時にすでに明らかなスイッチが入っていることが見てとれた。間違いない、これは気遣いではなく、心配りだということがわかった。

 

 

 

 

 

僕「いいんですか?大丈夫?だってネットには夕食なしって書いてあったから」と確認。

 

 

というと、「今3時でしょ?この時間なら用意できますから。これがもう少し後だったできなかったけど」

 

 

 

 

僕は、「なんてことだ」と思い、それ以上は何も言えなかった。もう僕のターンではないことがわかった。

 

 

夕食は6時からということなので、それまでの間はマウンテンバイクに乗って自然を感じることにしました。マウンテンバイクに乗り風を感じつつ僕は、回想しました。

 

 

 

 

 

 

ここに来ようと思った昨日の自分。

眠れそうにないから夜出発した自分。

来てみてやっぱりここがとっても好きだということを確認した自分。

そして、宿を探そうとしたさっきの瞬間。

宿に直接行ってみようと思った自分と、それを実行した自分。

 

 

 

なんかすごいすごいことが起きていると思いました。

言い換えると、歓迎されている。

なんか嬉しくてたまらない。

 

 

それはきっとこの土地がむけてくれている僕への感情でもある。

 

 

その時の嬉しいという感情が、この記事を書いている今も忘れられません。

 

 

 

きっと、すごいのが出てくる。

すごいご飯が出てくると思うんだよな。

 

この流れはそうだよな。と、わかっちゃったんです。

 

 

 

そして5時になって宿の戻り、扉を開け「ただいまー」というと「おかえりなさーい」の声が聞こえました。(すごくないですか?これ)僕はもうね「始まってる」って思った。

 

 

 

マウンテンバイクをスキー用の乾燥室の中に入れさせてもらって、出迎えてくれたのはコック服を身にまとったご主人。「でた神」って思いました。レコードがたくさん並ぶ自慢のオーディオルームや本がたくさんあるリクリエーションルームを紹介してくれたり、部屋まで案内してくれました。明らかに彼らはここでの生活を楽しんでいるんですよ。素敵だなぁと思いました。そしてこの生活を現実のものにしている事実に嫉妬しました。一言で「羨ましい」

 

 

 

(そうか、これがやりたいのか俺は)

 

 

 

 

夕食の時間になり、子供の頃から来ていること、去年と一昨年は5回来ていることなど、とにかくこの山とこの場所がすごく好きだということ、今日お世話になることになった、事の経緯をご主人にお話しながら、コース料理をゆっくりといただきました。

 

 

 

ご主人も奥様も僕の話をちゃんと聞いてくれて、僕が運と勘で生きていることを察し、理解してくれました。そして、今日来てくれてありがとうございますと言ってくれた。ご主人も奥様も僕もそれぞれが自分を讃えているような、そんなあたたかな時間でした。

 

 

 

食事の途中、カサゴのムニエルを口に運んだときに、僕は涙が溢れてきてしまって、一瞬の号泣を体験し、「ありがとうございます」という感謝を宇宙に放ちました。あの夕食は山奥の一人の料理人の渾身の本気の振る舞いだった。凄すぎた。僕とご主人は料理によってとても仲良くなり、夕食後には大きなスピーカーのあるオーディオルームで70年台の音楽を聴き、先日の日本ミュージックアワードに出演した彼らの娘さんの歌を聞きながら、ゆっくりと時間を過ごしました。「お父さん、娘さんめっちゃ好きやん」

 

 

 

 

朝になり、僕は「民宿を手に入れる」ということを決断。

僕は決めたと、そのことをお二人に伝えると、とても喜んでくれました。「あなたみたいな人に来てもらいたいのよ今ここは」

 

 

 

それは真実の言葉だとわかりました。

本音が聞けた。

 

 

 

そんな素晴らしい人格の二人に見送られて、宿を後にし、無事帰宅しました。

 

 

僕は、近い将来、民宿を手に入れて、この国立公園の中でこの体の心臓が止まる時まで生きていこうと思います。その時はどうか皆さん、遊びに来てください。そして、ここの自然を肌で感じてほしいです。僕の最上は、ここ以外にはない。残りの余生はここで過ごす。まだ40代だけど。

 

 

 

この出来事以外にも、ぎっくり腰を視るということもしたので、その話は次の記事で書きますので、もしよかったらまたみに来てください。

 

 

 

皆さんも、もし何か思い立ったら、その思い立った瞬間に行動に移してみてください。懸念という時間を取るよりもきっともっと素晴らしい時間軸があり、それこそが人智を超越しているという世界線の実感を得られることでしょう。




それでは皆さんも素敵な午後をお過ごしください。

 

 

 

 

 

 

またね。