少し離れた場所に別の親戚が住んでいました。そこに移ることにしました。

そこには同じ年頃の従兄弟もいましたから、今度は違った刺激がありました。学校に通う時間もそれまでの数倍かかりました。でもその道程も、知らない道なので退屈しません。

叔母さんの家にはテレビもあり風呂もあり、そのうえ叔父さんが料理好きでしたから、うまい飯もたらふく食べれました。

僕のなかで、明治は一足飛びに昭和になりました。

 

思えば僕は、何度引越しをしたことでしょう。小学校を卒業するまでに七回、中学時代は二回、高校時代に三回、浪人大学時代に七回。ここまでで、十九回です。

まるで遊牧民かジプシー。体のなかに定住という言葉は存在しませんでした。ですからいつだって、身ひとつ。持って行けない物は持たない主義になってしまいました。

 

母親から「糸の切れた凧」と呼ばれていても、その通りでしたから、(うまいこと言うじゃないか)と思っていたくらいです。

 妻と知り合った頃、

「腕時計を買うなら、ロレックスかカルチェ。指輪は金よ。だってそれだったら、いざという時、すぐに換金できるから」

と言われ、すぐに(なるほど)と納得しました。だから僕は、妻と結婚したのです。