レッドブル片手にゆっくりと。

TOKYO / HARAJUKUっていう街は、自分を変えてくれた特別な場所なんだよね。
18歳でTOKYOに出てきて、友達の影響でファッションに目覚めました。
高校出るまでがとにかく腐ってたから、わかりやすいくらいにTOKYOデビュー。笑
13年前の原宿って、週末は表参道が歩行者天国になってて、路面店やパフォーマンスがうじゃうじゃいて、とにかくエネルギーがすごかった!
目的ないのに毎週通ってた。
ラバーズやMILK BOY着てたなー。
ネメスのパンツとかさ。
インディーズブランドブームなんてのもあったね。
その頃に創刊されたのがKERA。
原宿初の雑誌ってコトで、創刊号から買ってました。
20歳で美術の専門学校を卒業し、1年間はフリーター。
何か月もバイトすら決まらずフワフワしてた時、たまたま原宿でポストカードを売ってる人を見かけ、なんとなく声をかけてみた。
すごく楽しそうに見えて、オレもやってみようと思った!
そっこーMACを買ったね。
親の金で。笑
すぐにでも路上に出たくて、PCさわった事もないのに、一週間で強引にマスター!
そこから原宿表参道のストリート時代が始まりました。
ストリート1年目はバイトの合間に。
2年目は雨の日以外全部。
3年目はイラストの仕事もちょっとだけ来るようになり、土日だけ。
2年目は300日以上、原宿の道でポストカード広げていたね。
一生分の排気ガス吸いまくったな。
雪の日は、雪かきしてやってたな。
たくさん売れた日はそのまま買い物、売れなかった日は飯を抜くっていう、ムチャクチャな生活をしてました。
遅れた青春時代だね。
別名、まわりのすべてが敵に見えてた時代。笑
路上3年目のある日、原宿警察署に目を付けられたオレは、アレされて、2泊3日アレしました。
ブタバコの飯はまずかった~。
その事件を機に、ストリート時代に幕を閉じました…
そこからはハイパーイラストレーターだけでやっていこう!と決め、まず企画書を作ってみたんです。
雑誌KERAで連載をするために。
連載するならオレの原点、この雑誌しか浮かばなかったんだよね。
とにかく10代のコにいろんなメッセージを伝えたかった。
そんな思いが通じ、いきなり無名がフルカラー1ページっていうありえない待遇で連載”STREET ROMANCE”が始まりました。

こんな原宿も描いたな♪
一度も人気が出ず、なのに4年間も続いた謎の連載。笑
イラストレーターとしての仕事を重ねていくにつれ、コラボや提供じゃなく、120%自分のデザインでTシャツを作りたくなってきて…
だったらブランド名があったほうがいいなって事で始めたのがHYPER CORE。
だからはじめはTシャツブランドのつもりだったんだよね。
…コーデできちゃうほど幅広いブランドにするつもりじゃなかった。笑
イラストレーターとして、やっと仕事にも恵まれるようになってきたというのに…オレはブランドにハマっていってしまって…
結果、躊躇なく「HYPER COREのためにイラストを描く」を選んだ。
さらっと書いたけど、そんな流れで今のハイパコに至っています。
なんだかんだで、今このブランドのジャンルも原宿系ってくくりになってるのがおもしろいよね。
いまだに原宿に足を踏み入れた時の興奮が、自分(HYPER)のモノ作りの根本(CORE)にある気がするのさ。
これからもこだわっていきたい街だな♪
BGM : ROCKET DIVE / hide