月刊HIDEKI創刊号 | HYPER COREのHisacyのBlog

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aacbe5ee.jpg久々にロンブン(×論文 ○Long文章の略)を書かせていただきます。本日21日に未来(HIDEKI)さんのNEWシングル=月刊HIDEKI創刊号が発売されます。今月から12ヵ月連続、毎月第3水曜日にリリースされる作品で、Art Directionを全部やらせてもらってんだよね。すげーっしょ!!!(しかもコミックス付!) ここまでの道のりは長かった…。

みんなも影響を受けた人ってのがいると思うのね。オレはHIDEKIさんとその音楽に出逢っていなければ今東京にはいない気がする。それくらいでかい存在。連載とかでも必ず文末に”蛇!”って使ってるけど、あれもHIDEKIさんのパクリだし(笑)

オレがHIDEKIさんを知ったのは、東京に出てきて専門行ってた18の時。その頃SIAM SHADEが売れだしてたんだけど、全く興味なくってさ。翌年、NEVER ENDって曲をたまたま耳にし、衝撃を受けちゃった! それまで音楽ってカラオケで歌うために聞いてるような感じだったんだけど、この曲の変拍子がちっとも覚えられなくって。こんなのを作る人ってどんなんだろってトコから始まった。ハードロックなのにPOPでメロディアスで歌詞が最高! だけど懲り過ぎててクセがある。オレの描きたい絵の世界がまさにこれだった! その頃中古CD屋でバイトしててさ、CDは買い取り値段で買えてたのね(←ホントはダメ。笑)SIAM SHADEの初回限定とかを売る人があらわれる度に即オレが買い、集めて、どんどんハマっていった。でファンクラブに入った(←ハマるとのめり込むタイプ。笑)

専門を卒業後、フリーターで途方に暮れてた日々を送ってた20才。SIAM SHADEのライブには時々行ってたんだけど、ある時男限定ライブってのがあってさ。(アイロンプリントで作ったTシャツで行ったな、笑) その時すげー近くでぐっちゃぐちゃの男臭い中で叫んでるHIDEKIさんを見て、無性に「いつかこのバンドと一緒に仕事し、CDジャケットを描いてみたい」と思った。でもすぐにできるわけないし、今の自分の状態じゃ120%無理に決まってる。設定は3年後のアルバムジャケットにしようと勝手に決めて動きだした。

とりあえずHIDEKIさんにオレの存在を知ってもらおうと、時々BBSにカキコし、HPのリンクを貼ったりしてた(後で聞いたらHP見て、インプットしてくれてたらしい!) ある時Zepp TOKYOでファンクラブ限定ライブってのがあってさ、2列目にいた。狂ったように騒いでたら、HIDEKIさんと目があい、オレに向かって「いくよっ」って言ってそっとペットボトルを投げてくれた! しかしとろいオレは落としちゃった(笑)「ダメだよとらなきゃ」とつぶやいて笑ってくれたから、「ゴメン」と手を合わせて謝った。ペットボトルを落としたおかげで初コミュニケーションの瞬間だった。

路上をずっとやってて、少しづつ絵の仕事もこなし始めていた22才の誕生日。ファンクラブから1月11日必着って封筒が届いてたので当然”誕生日のメッセージ”だと思いハイテンションで封をあけた。でも中に入っていた紙切れには”解散”っていう2文字だった。自分の夢がなくなっちゃった最悪の誕生日プレゼントだった。。。

解散ライブは正直、どーでもよく感じていた。好きなBANDがなくなっちゃうコトよりも、自分の将来を重ねていたから「ふざけんなよっ」って気持ちだけだった。その前年、hideさんの時も仕事をしたいっていう夢があったのに出来なくなり後悔した、なのに出だしの遅さで同じ失敗を繰り返した自分にむかつき過ぎて、ふっ切れた。HIDEKIさんは事務所、HPを立ち上げる。オレはもう○年後とか言ってらんねーと思い、履歴書とイラスト全部と解説、文章を添えて「オレを使ってくれ」と書き、送った(気分は日本代表の時のゴン。笑) ぶっちゃけ間違いなくいい返事が来るだろうと思った。HIDEKIさんが変なヤツ好きってのは知ってたから自信あったし(苦笑) 数週間後、いつもどおり路上でポストカードを売ってたら、見なれない番号の着信が。なんとロス(多分)からのTEL! 奇声を発するオレ! あの日の表参道は自分の未来に続く道に見えたね(笑)

しかし初打合せはグダグダ。多分印象悪かったろうなぁ、、、会話が成立してなかった気がする、全く覚えてねーや(笑) すぐにTシャツを手掛ける事になったんだけど、緊張、プレッシャー、そして具体的なオーダー…。自分の力量のなさで、全くいい結果を出せなかった。「…もう次はないな」と感じてしまってた。でも数カ月後、HIDEKIさんから「今度のライブTシャツは全部お前のセンスだけで好き勝手にやっちゃてよ!」とのお言葉! ”太陽に手を伸ばして”っていうHYPERな曲をBGMに描いたのが、WE ARE PUNK DRUNKERってTシャツだった。このTシャツはHisacyテイスト120%、一か八かの賭けなつもりで描いた。そしたらちゃんと結果を出す事が出来た! そして何よりも、今オレがずっと描いているPunDyちゃんが誕生したのもこのデザインとHIDEKIさんの何気ない言葉から! これまた運命だと感じたね(笑)

だけど一緒に仕事をしていて、CDジャケットを描きたいとは全く思わなかった。やっぱり自分の絵がHIDEKIさんの曲につりあうとは思えずにいたから…。グッズってFANに向けて、ライブに来た人だけが目にするものだけど、CDってのはこれからも残っていく作品の顔じゃない??? まだまだおこがましい。ある日ふとHIDEKIさんが「ここぞって時のCDジャケットはお前に頼むからさ」ってさり気なく言ってくれた。男の約束に、オレは泣きそうになった、ってか泣いたね(笑)そして、その時までに自分を高めようと決めた。

HIDEKIさんはACIDってバンドを組み、そのグッズを時々手掛けるっていういい関係のまま2年がたった。で今年の夏。上野のカフェで仕事してたらHIDEKIさんからの着信。そこで耳にした言葉は「CDジャケット頼むよ!」だった! この言葉を8年待っていた! 思わず大興奮! 大声出しちゃって周りはみんな見てるけど、そんなのどーでもいいくらいにHiテンション! 約束の時が来たんだなと感じたHYPER HAPPYな瞬間だった。

音源をもらって初聴き。一曲聴き終わる前に絵が浮かんだ。オレは仕事によってすっげー悩んでしまう時もあるし、勢いで気付くと完成してるって時がある。勢いで描いた絵ってのは迷いがないからいい作品になる事が多いんだよね! このジャケットはまさに勢いだけで完成に至ったな。

一緒に仕事して、真面目な相談もしてる関係なのに、今もファンクラブに入ってるからね、しかも会員番号かなり早い(笑) 仕事のパートナーでもあり、ファンでもある。オレが企んでた関係になってきたぜ…(笑) うひゃひゃ。

本日、フライングでシヴヤのタワレコに偵察に行ったら、ちゃんとコーナーが出来ててオレの絵がレイアウトされていた。感動!!! 一年後、12枚並んだ様子を早くみたいな★

そんな経緯でこの月刊HIDEKI。そんじょそこらのジャケットとは込めてる思いが違う! このジャケットは最強だと思ってます。もちろん1月号も2月号も3月号も…(まだ描いてないけどきっと!笑) 絵のレベルは決して高いわけじゃないけど、だけどこの曲にはこのジャケしかないんじゃないかな。オレの数ある夢の中の一つに、HIDEKI&ACIDが武道館ライブをやる時、会場をHisacyデザインで埋めつくすってのがある。その夢への第一歩でもある渾身の一枚、Gloriousをよろしく。蛇!