
ちょっとのいじめなら、実はあったコトある人のほうが多いんじゃない??? あれはきついよね。攻撃されたら一人でいるほうを選んじゃうに決まってる。しかし”一人”ってのは気楽なようだけど、実は凄く危険。最終的には必ず悪いほうに考えてしまう。そりゃ当たり前。だからこそ、そんな人に気づいてあげられる余裕が心にもっと欲しいと思う。
路上時代、オレは3年間いっつも原宿に座ってた。そこではたくさんの中高生がいつも来てくれて、だらだら喋ったりしてて=悩み相談に突入したコトもあった。中高生(特に中学生)って、普通知り合いって同じ学校のコしかいないじゃない??? バイトもないし。問題を抱えた時、やっぱ先生や親に相談なんてできるわけないと思う。内容によっちゃ友達ってのも相談しづらいじゃん??? そんな時やっぱり”会って話を聞いてあげられるちょっと大人”っていう人が近くにいるって、凄く心強いんじゃないかな。自分の事を知ってるけれどそんなに知らなくて、原宿に行けば必ずいる20歳過ぎのヒゲ繋がった人ってのは、そういうコにとって、大きい存在なんだろうなと感じながら接してた。夕方、「また来週な♪」と約束のように言ってあげるって決めていた(だから路上ができなくなった時、凄く申し訳ない気持ちになってしまった)
いじめとはちょっと違うかもだけど、仲間はずれってのも嫌だよね。小学校6年生の修学旅行の班を決める時、男女共2、3人づつ組むっていう作り方だった。で、オレは仲良し3人で組んだんだけど、そしたら男が1人余っちゃってさ。そいつは遠くから引っ越してきたコで、オレは時々遊ぶコだった。結局そいつはなんとか別の班に混ざるコトができたんだけど、その時にあいつと組んであげりゃよかったなって今でも後悔してる。やっぱりたくさんいる中で一人残されるっていう”一人”ってのは精神的にきついじゃん??? そうなる前に、班作りのごちゃごちゃした中で、さりげなく気づいてあげたかったって、子供ながらにランドセル背負った帰り道に感じたりしたな。
大人になってもいじめはある。20歳の時、テレアポ(電話で奥さん相手に携帯売ってた。笑)してたんだけど、そこで華麗なトークで成績優秀おばちゃんがいてさ。でも他のおば(汚婆)ちゃんはそれが気に入らなくて、言葉で攻撃してんだよね。結構きつい系。醜いでしょ??? 見ててあまりにもかわいそ過ぎた、オレはその優秀おばちゃん派だったから、いつも一緒にご飯食べたりして、攻撃できない雰囲気にしてた。だってさ、なんで40過ぎていじめられなきゃなんないの!? そんなの第3者のオレだって見てて気分悪い。ホント利もないのにつまんないコトする大人ばっかだなーと、大人に幻滅したバイトでした(笑)
人をいじめてるヒマあったら、楽しい事してたほうがいいと思いません??? 気に入らない人がいたら、ほっときゃいいと思いません???
もしもいじめられたら、その環境から移動しちゃってもいいと思いません??? もしもいじめられたら、一緒に未来ライブ行って飛び跳ねません???
”一人”を支えるのって、言葉だったり、音楽だったり、雑誌だったり、そして時には絵だったりする。もちろんオレもいろんなモノで支えられてきてる。イラストって芸術作品よりもそういうパワーはある気がする。しかも安いし!(笑) ここ数日、いくつもの並んだニュースを見て&読んで、KERA!世代や10代20代に向けてラクガキしてるからこそ、いろいろと真面目に考えてました。
結論は、やっぱHAPPYな絵ばっか描いてこ!
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