自動車評論家の大御所、徳大寺有恒さんが去る7日にお亡くなりになったと聞きました。本当にびっくりしました。心より哀悼の意を表させていただきます。
元々車好きの私が、社会人になってその趣味をさらに豊かなものにできたのは、徳大寺さんの著書や記事による影響が大きかったと思います。徳大寺さんは、多くの自動車評論家が重視する車のメカや性能についてはあまり語る事はありませんでした。それよりも車を生み出した国の文化、政治や経済、さらにファッションに至るまで、幅広い知識と教養に裏付けられた文章を残されました。
若い頃はトヨタのワークスレーサーをされていましたが、その後カーアクセサリーの会社を設立し成功、しかし数年後に会社が倒産、何年かは不遇の時期を過ごされました。奥様によると、そんな中でもカー雑誌を読みあさっていたそうです。本当に根っからの車好きだったのですね。
徳大寺さんが自動車評論家として不動の地位を確立される転機が訪れます。70年代中頃に「間違いだらけの車選び」が大ベストセラーになったのです。私も大学生の頃に読みましたが、それまでの自動車評論とは一線を画す、本音の自動車評論でした。
80年代は雑誌NAVIが創刊され、私も徳大寺さんの記事を毎月熟読しました。自動車についての客観的な評論よりも、徳大寺さんの趣味や主観に満ちあふれている所が、逆に説得力があるように感じました。その後NAVIが廃刊になったことは私にとって残念なことですが、80年代から90年代にかけて、この雑誌や単行本を通じて徳大寺さんから自動車文化を学べた事は本当にありがたかったと思います。
昨年お亡くなりになったやはり自動車評論の大御所、小林彰太郎さんと同じく、自動車評論に大きな足跡を残された徳大寺有恒さんの死は、ひとつの時代の終焉をも感じさせる出来事でした。奥様をはじめ、周囲の方々の悲しみは想像するに余りありますが、徳大寺さんがあの世でも好きな車とファッションに囲まれながら、パイプをくゆらせてご満悦な様子を想像しながらペンを置きます。心よりのご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
元々車好きの私が、社会人になってその趣味をさらに豊かなものにできたのは、徳大寺さんの著書や記事による影響が大きかったと思います。徳大寺さんは、多くの自動車評論家が重視する車のメカや性能についてはあまり語る事はありませんでした。それよりも車を生み出した国の文化、政治や経済、さらにファッションに至るまで、幅広い知識と教養に裏付けられた文章を残されました。
若い頃はトヨタのワークスレーサーをされていましたが、その後カーアクセサリーの会社を設立し成功、しかし数年後に会社が倒産、何年かは不遇の時期を過ごされました。奥様によると、そんな中でもカー雑誌を読みあさっていたそうです。本当に根っからの車好きだったのですね。
徳大寺さんが自動車評論家として不動の地位を確立される転機が訪れます。70年代中頃に「間違いだらけの車選び」が大ベストセラーになったのです。私も大学生の頃に読みましたが、それまでの自動車評論とは一線を画す、本音の自動車評論でした。
80年代は雑誌NAVIが創刊され、私も徳大寺さんの記事を毎月熟読しました。自動車についての客観的な評論よりも、徳大寺さんの趣味や主観に満ちあふれている所が、逆に説得力があるように感じました。その後NAVIが廃刊になったことは私にとって残念なことですが、80年代から90年代にかけて、この雑誌や単行本を通じて徳大寺さんから自動車文化を学べた事は本当にありがたかったと思います。
昨年お亡くなりになったやはり自動車評論の大御所、小林彰太郎さんと同じく、自動車評論に大きな足跡を残された徳大寺有恒さんの死は、ひとつの時代の終焉をも感じさせる出来事でした。奥様をはじめ、周囲の方々の悲しみは想像するに余りありますが、徳大寺さんがあの世でも好きな車とファッションに囲まれながら、パイプをくゆらせてご満悦な様子を想像しながらペンを置きます。心よりのご冥福をお祈り申し上げます。合掌。