かつてある企業で面接をした際のことです。面接官の私はその会社を受験しに来た若い女性にあなたの将来の希望は何ですかと質問しました。相手からは即座に「世界平和です。」という返事が来ました。女性は自身ありげでした。
私はその時、何となく嘘臭くて不快な感じがしました。もちろん世界平和を望む事が悪いと言っているのではないのです。しかし、その若者のマインドを、その漠然としたつかみ所のない言葉から推測した際に、心の底はそう思っていない事を確信したからです。彼女の頭の中は自分のことで一杯のように見えました。その反動が世界平和という言葉に置き換わったのがわかったのです。
私は彼女に言いました。「それでは、あなたはご両親にどんな親孝行をしていますか。」と。彼女は答えにつまりました。
私は現代の若者に幸せになってほしいと思います。その秘訣をひとつ申し上げるならば、共同体感覚を身につけてほしいということです。すなわち助け助けられという感覚です。ボランティアという構たものでなく、日常の自然の営みの中で、ごく自然に実行してほしいのです。すべての人を共に生きる仲間と思える感覚です。無償の愛というと、有償の愛の対比になってしまいますから、無償という言葉も不要です。
ただ、自然体であたりまえに助け、助けられる感覚。今の時代に本当に必要なのは、こんな共同体としての社会ではないかと思います。
私はその時、何となく嘘臭くて不快な感じがしました。もちろん世界平和を望む事が悪いと言っているのではないのです。しかし、その若者のマインドを、その漠然としたつかみ所のない言葉から推測した際に、心の底はそう思っていない事を確信したからです。彼女の頭の中は自分のことで一杯のように見えました。その反動が世界平和という言葉に置き換わったのがわかったのです。
私は彼女に言いました。「それでは、あなたはご両親にどんな親孝行をしていますか。」と。彼女は答えにつまりました。
私は現代の若者に幸せになってほしいと思います。その秘訣をひとつ申し上げるならば、共同体感覚を身につけてほしいということです。すなわち助け助けられという感覚です。ボランティアという構たものでなく、日常の自然の営みの中で、ごく自然に実行してほしいのです。すべての人を共に生きる仲間と思える感覚です。無償の愛というと、有償の愛の対比になってしまいますから、無償という言葉も不要です。
ただ、自然体であたりまえに助け、助けられる感覚。今の時代に本当に必要なのは、こんな共同体としての社会ではないかと思います。