私が小学生時代の頃、夏休みは祖父が建てた軽井沢の別荘で過ごすのが恒例の行事でした。昭和30年代の後半から40年代初頭にかけてのことです。避暑という感覚のない小学生にとって少々退屈なときもありましたが、夜明け前の早朝に東京を出発して父の運転する古い英国車で17号線を6~7時間かけてひたすら走る経験は胸躍るものがありました。高崎観音が見える頃には随分遠くまで来たという実感がわきました。クライマックスは碓氷峠の幾重にも続く急カーブです。後の碓氷バイパス、さらに高速道路が開通した現代では考えられないようなスリリングな体験でした。
当時の軽井沢は舗装道路が少なく、別荘地の近くの道路には馬糞がころがっていました。午前中に夏休みの宿題を片付け、午後は昆虫採集や父母に連れられて旧軽の商店街などに出かけたものです。あとよく行った場所は鬼押し出し。道すがら買い求めた焼きトウモロコシの美味しさは格別でした。
万座や草津などにも父の車で出かけましたが、暑さに弱い英国車のせいかオーバーヒートに悩まされました。同じくパンクもよく起きました。祖父と一緒に国産のハイヤーで帰京する際もパンクして、運転手さんが冷や汗かきながら修理したことあります。
軽井沢の良さを本当に理解できたのは、大人になってからです。のんびりと時の過ぎ行くままに一日を過ごす軽井沢は、私にとってかけがえのない場所です。
当時の軽井沢は舗装道路が少なく、別荘地の近くの道路には馬糞がころがっていました。午前中に夏休みの宿題を片付け、午後は昆虫採集や父母に連れられて旧軽の商店街などに出かけたものです。あとよく行った場所は鬼押し出し。道すがら買い求めた焼きトウモロコシの美味しさは格別でした。
万座や草津などにも父の車で出かけましたが、暑さに弱い英国車のせいかオーバーヒートに悩まされました。同じくパンクもよく起きました。祖父と一緒に国産のハイヤーで帰京する際もパンクして、運転手さんが冷や汗かきながら修理したことあります。
軽井沢の良さを本当に理解できたのは、大人になってからです。のんびりと時の過ぎ行くままに一日を過ごす軽井沢は、私にとってかけがえのない場所です。