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和歌山県紀の川市でグルーデコ®︎レッスンを開始しました、上芝よしみです。
 
以前、こちらの記事を上書きしてしまいました。
こんな内容だったような、違ったような気もしますが、書き直しました。
 
 
 
この前の大阪北部の地震でいろいろ思い出してしまいました。

大阪でしたが、阪神大震災の時にはいろいろ複雑な思いをしたんです。
 

当時の私は深夜ラジオを聞いていました・・・。
 
3時までそのラジオを聞き、眠りについたと思ったら小さな揺れが、するとほんとに大きく家が揺れたんです。
 
飾ってあったジグソーパズルが頭の上に落ちてきました。
 
学校では避難訓練するけど、家での避難訓練なんてしないですよね。
 
母はタンスのある部屋で寝ていました。

別室で寝ていた父はそんな母を心配し、揺れる中、母のもとへ一番に行きました。

父はとっさに一番誰が危ないかと判断できていたんです。
 
 
そしてキッチンの食器は散乱していました。

テレビで映し出される光景は戦争時の映像のようでした。

私は怖くてたまりませんでした。

しかし、私はなぜか登校したのです。

今のように緊急連絡なんて来なかったんです。
 
そんな中、ほとんどの人は登校なんてしていません。

先生も数名いらっしゃり、一緒に教室の惨状を見ていました・・・。

 
私は自力で祖父母の家まで戻り(学校から歩ける距離)、その後父が迎えに来てくれました。

電車も止まり動く気配は全くなしでした。
 
道はかなりの渋滞。

 
父は根っからの大工。
 
祖父母の家にいてる私を迎えに来ると同時に家の点検です。

車で走りながら、携帯電話で他の親戚や友人を心配し連絡を取ります。

夜になると大阪の道の混雑は増しになりつつあり、親戚や友人宅周り。

余震に備えるとともに、家族は一緒にいるべきと判断し、私は父に連れられていろんな家を行きました。


母方の祖父母の家の近くは崩れ落ちていました。

祖父母の家の中の壁も落ちていました。

 
私は家族でいる安心感に守られながらも恐怖でしかなかったのです。

 
父はわかっていたはずなんです。
 
私の思いも家族の思いも。

それでいて、自分の周りの人の安否を自分の目で確認し、大工として住む場所、修繕する場所を確保しなければならいという使命みたいなものがあり行動に出ていたのだと思います。

当時の私は連絡とれたなら家でいいやん。

なんでうちのお父さんがそこまでするの?って疑問でした。

父は自ら自分のするべきことをわかっていたんです。
 
自分がどうすることで自分を保てるのかもわかっていたんだと思います。

じっと、テレビで状況を見てるだけなんてことできなかったんだと思います。
 
自分勝手のように思うけど、周りに振り回されることなく、人生を生きたんだと思います。

私はそんな父が大好きです。

現に父はたくさんの人に慕われていました。

それが私の誇りでもあります。

 
心を偽っても、いくら着飾っても、それって私じゃないんです。

自分らしく入れる場所は自分で見つける!
 
そう、今は感じます。
 
 
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