みなさん、今日は、意外に深い話なので、心の話のカテゴリーです。
さて、いきなりですが、どうして僕らは、自由になりたいと思いながらも不自由なのでしょう?
それは、不自由と思うから、不自由!なんてオチではないですよ。
実は、自分が不自由でいることに怒り、その怒りを肴に酔うからです。
不平不満をどんどん言って、怒りに酔うのです。
別に酒の肴をかえて、悲しみに酔って、嘆いても同じなのですけどね。ホルモンの差です。
でも、酔っぱらって何をしているの
それは、酔うことで誤魔化しているのです。アルコールと同じです。
じゃあ、何を誤魔化しているの
さみしさを!なんて定番なことは、言いませんよ~。
答えは、ズバリ!自己責任です!ドカーン!
その求める自由の裏側にある「自己責任」を見ないで誤魔化しているのです。
社会の歯車ではなく、本当の自分として生きる自己責任。
その責任を見たくないのです。
自由だけを語って、責任を見ない。それには酔っ払うしかないのです。
だってその自己責任は、重すぎて怖いので、見ないで、不平不満を言って酔ってたいのです。
自己責任は、ありますよ。だけどね、その重さや恐怖は、他人があなたに入れた幻想です。
ですから幻想に酔い、さらにその不自由さに酔い、その酔ったままの自分に酔いしれるのです。
アルコールなしで、もう飲んだくれの酔っ払い状態です。
居酒屋で、自由について語るオッサンと同じなのです。言うだけ番長なのです。
そして本人は、わからないのです。俺は酔ってなんかね~よ!ウィ~ッって感じです。
酔っている人は、認められないのです。だって飲んでる最中なのですから。
酔いが覚めて、素面になって、はじめて自分は酔っ払っちゃっていたと気づけるのです。
何が伝えたいのか、わからなくなってしまいましたが、自由になって
美味しい酒を飲みましょう。感動という美酒に酔いしれましょう。
その酔いは、同じ酔いでもリアルです。肴が幻想じゃない。リアルなのです。
酔っ払いbeアンビシャス なんだこりゃ~(笑)。すどうゆうじ
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