実はこの度、引退されたライガーさんと対戦出来ないものかと画策してました。
昨年3月に引退を表明されてから「俺が名乗り出て良いものか?」と自問自答し、実際に俺が動き出すまで3ヶ月かかりました。ガキの頃に勝手に自身と被らせて、凄く思い入れのある人だからこそ、時間が無いと解っているのに動くと決めるまで時間が必要でした。
俺が中学2年生となる1984年にデビューされ、後に「リヴァプールの風」となるY選手。
前年、中学1年生になってから観始めたプロレス。なので正味4ヶ月で数試合しか知らない初代タイガーマスク(この年の夏に引退)は俺にとって「伝説」であり「憧れ」。Y選手こそが俺にとって「目標」となる人だった。
Y選手がTVマッチでシューティグスタープレスを披露した次の日には学校の体育館のステージ裏に高く積まれた柔道用の畳の横に体操用のエアマットを敷き、そこへシューティグスタープレスを敢行したりもしたし、Y選手がそうしたようにMEXICOへ行く事もプロレスラーになる為の選択肢というか手段の一つと考えていた。
そして平成元年の春に高校を卒業し、新日本プロレスの道場に近い、二子玉川で土木作業のバイトを始めだした頃、Y選手はリヴァプールの風となり、新たに獣神ライガー選手が現れた。
その年の秋にFMWに入り翌年の1月にデビューした俺のコスチュームは赤色のロングタイツにレガース。そう、100%Y選手へのオマージュ。
「いつかは」と思っていたけど、実際にリングの上で顔を合わせたことは無く、あるのは各団体のジュニア戦士が集まった座談会とライガーさんが試合中のアクシデントで足首を骨折された際にお見舞いに行った事。それと1998年に新日本プロレスの道場で一度練習させていただいた事くらい。
接点といえば、その程度なので本当に毎日、自問自答の日々だったけど、やはり自分の気持ちに嘘はつきたくないので行動に移しました。
詳細をここで語る事はしないけど…なかなか思い描くようにはいかなかった。まぁ交渉事なのだから当然ではあるが。
「そろそろ…他の手段は無いものか?」と思い焦り出した頃に俺の業界での数少ない友人の1人である「テカちゃん」ことアステカ選手がプロレスリング華激にライガーさんを招いて興行を行うことを知り「おめでとう」を言う為に電話をした際に「実は俺も動いてるんだ」と伝えた。この時「あれっ?一度も絡んだ事無かったでしたっけ?否、ある記憶ですよ」ときた(苦笑)本人がそう言ってるのに何回かそう言うので「そのまま、やった事にしておいてもらおうかな」と一瞬思ったりもしたが、無いものは無いのだ(笑)
そこから頻繁に電話やメールでやりとりをしてたある日「この間、ライガーさんと話した時に名前を出したら、えっ!?バトレンジャーと対戦したこと無かったっけ!?否、何処かであるはずだけどなぁ〜。って言ってましたよ」と言われた。ライガーさんの記憶に俺が存在してるのは嬉しいが、正しい記憶で存在したいと強く思い、諦めるにはまだ早いと粘る事を決めた。
そして11月20日にアステカ選手から電話があった。出てみると声の主は、なんとライガーさんだった。なんでも一緒に食事をしてるらしくライガーさん自ら「かけてみよう」と言ってくれたらしい。
それだけで充分で「あぁ、ここでライガーさん自ら断ってくれたらスッキリできる」なんて考えていたら「新日本にYってのが居るから電話してみて」と言われた。
いま思うと本人からは言い辛かったのかも知れないが、あの時の俺はラストチャンスに恵まれた事に感謝しかなかった。
翌日、朝から押さえられそうな会場やリングのめぼしを付け、夕方に新日本プロレスのYさんへ電話をした。ライガーさんやアステカ選手も言っていたが本当にスケジュールが一杯で、リリースされてないだけで休みらしい休みが無い状態とのこと。正直、終始ビジネスライクな感じなんだろうなと思いながら電話したが、しっかり話しを聞いて貰えた。伝えるべき事は伝えたし、それ以上は余り言っても失礼だし、迷惑になるので結果は残念だけど電話を切った。
次の日の22日。アステカ選手へ結果報告とライガーさんと繋いでくれた礼を言う為に電話すると「アンダー(カード)になるけど、それで良ければ28日のライガーさんが出る大会に出ませんか?24日の夕方までに返事下さい」と言ってくれた。
急な申し出だが、凄く有難いし嬉しかった。だが行くべきかは凄く悩んだ。悩んで答えが出ないまま24日にアステカ選手へ電話をした。
「正直、悩んでるんだよ」と伝えると「もう追加の選手にも声かけてるし、後はリリースするだけですよ」ときた。アステカ選手の方が一枚上手だった(笑)そうなると固辞する理由は無くなり参戦を決めた次第。ありがとうアステカ選手。
28日は会場に入ってから出るまで、心は直立不動でした。試合もしっかり目に焼き付けました。
あとどのくらい続くのか自分でも判らないけどリングの上で顔を合わせられなかった悔しさを忘れず逆にバネとして、これからもリングに上がりたいと思います。
俺にとっての「心の兄貴」獣神サンダーライガー先輩、本当にお疲れさまでした。