大仁田厚 上野幸秀 フライングキッド市原
VS
ミスター雁之助 バッファロー 空牙
先ず始めに上野幸秀から。そう自分です。超電戦士バトレンジャー25周年記念と銘打ちながらメインに素顔で出ます。勝手我がままですみません。
きっかけは2月15日の宇都宮で試合があった大将からのコメント・・・
「バトレンジャーの25周年興行に声を掛けてくれた事に感謝する。思えば何もない時代のFMWに夢を賭けて付いてきてくれた男が今でもリングに上がり続けてくれている事は本当に嬉しく思う。
今更あえて、俺からかつての弟子にどうこう言うつもりも無いが、今こそ夢を紡いだ、あの時代の
原点を思い起こして25年の集大成を見せてくれ。」
である。これを読んで「集大成」という言葉がずっと頭を離れなかった。次第にこれは大将からの「謎解き」とも思えてきた。25年やってきた集大成をどう表せばいいのか?俺の出した答えは『上野幸秀』としてリングに上がることだった。それが大将の求める正解かどうかわ解らないけど。
次にフライングキッド市原。いまはお互いにエルマーノ(スペイン語で兄弟の意)と呼び合う仲。3月1日の徳島大会では先にリングに上がった俺は後から入場してくるエルマーノを見てお互い入門したての頃、デビューしたての頃、メキシコ修行時の頃etc・・・さまざまな出来事、思い出が脳裏に溢れ出しマスクの中で涙が溢れていました。
25年というレスリングキャリアで同期の周年興行に出れて自分の周年興行に出てもらう。こんな幸せな事はありません。俺が素直になれる数少ない人間の一人。
トリは大将である。この人が居なかったら、この業界に入れてくれなかったら現在の俺は無い。そう思ったら来てもらわない訳にはいかない訳で一番に声を掛けさせていただいた。正直断られても仕方ないなと思いつつ連絡したが二つ返事で了承してもらった。有難い話しです。
1989年9月15日、履歴書も書かずに行った俺なんかにテストを受けさせてくれ、メニューこなしたにも関わらず不合格を言い渡され不服で帰れずにいた俺に「やる気があるなら道場へ通え」と言ってくれ、やる気満々でいた2日後に翌々日の大仁田さんの公開練習に来るよう事務所の方から連絡があった。雑用で呼ばれたと思い行った俺は予想通りリング設営をやっていた。すると大仁田さんが俺を呼んだ。なんだろう?と思いながら行くと「お前根性あるな。合格だよ」と言ってくれた。1989年9月19日、晴れて入門である。
そんな入門したての俺をリングに上げ「蹴ってこい」と言い数発蹴っていると途端に捕まえだし
「何事ですか?」と思っていると一気に担ぎ上げられ、そのままマットへ一直線!サンダーファイヤーパワーボム誕生の瞬間である。
そう。世界で一番最初にサンダーファイヤーパワーボムを喰らったのは俺である(笑)
柔道の経験があるとはいえ入門したての素人が初めて受けた技がサンダーファイヤーパワーボム。完璧な受け身など取れる訳が無い。しかも合計4発!公開練習終了後の食事会も喉を通らなかったし一晩中、いや翌日も頭がクラクラしてた(笑)でも、辞めようと思うことなくデビューまでこぎつけたのは「この日」があったおかげ。上手く説明出来ないけれど俺にとっては大切な1日で『成人の儀』ならぬ『入門の儀』である。
なにひとつ恩返しできていないけど、これから少しずつやっていきたい。3・17はその初日。
初代付き人の俺と二代目付き人の市原はそう思っています。
是非会場へお越しください!