ナポリは雨続き……。 | 「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

小説家ワナビーの「藍染 迅(あいぞめ じん)」です。

書籍化・商業化を目指し、各種コンテストに挑戦しながら、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ、アルファポリスなどに作品を投稿しています。

代表作は異世界ファンタジー「「飯屋のせがれ、魔術師になる。」。

テンションが下がります。

それでなくとも、出不精なのだが、雨が降っている屋外に出ていく気力など、あろうはずもない。
元気なのは、カエルにカタツムリくらいじゃないの。

かといって、インドア遊びに励むかというと、そういう情熱もわいてこない。
ちょっと、下降期、潜伏期に入っております。うちのやる気が。

かろうじて、洗濯、飯炊きくらいは、がんばっている今日この頃。
さて、何を綴ろうか……。

時事ネタで(?)、「仮想通貨」でも取り上げようか。

「NEM」の大量流出で、「コインチェック」が大騒ぎになっている。
ここで、観点をまず、2つに分けなければいけない。

ひとつは、「仮想通貨」その物に関するいろいろな議論。
もうひとつは、「仮装通貨取引所」という存在について。

これは、もう、圧倒的に後者が問題なわけで。

今回のコインチェックという「取引所」における大量流出とは、要するに管理する仮装通貨を盗まれたということ。
銀行の金庫とか、貸倉庫業者が預り金や保管品を盗まれたという状況と、並列に考えられる。

このとき棄損されるのは、「業者の信用」であって、通貨や財産の信用力ではない。したがって、この事件でNEMや他の仮想通貨相場が下落するのは、本来道理に合わない。

しかし、「相場」というものは道理ではないので、ムードで動く。動かすやつがいる。
そこら辺を勘違いすると、凡人は身を誤ることになる。

当研究所は、仮想通貨には投資をしていないので、いまのところ傍観者である。

決済手段としての仮想通貨には、計り知れない将来性があるとは、考えている。
職業柄、ある専門家にビットコインの仕組みについて、簡単なレクチャーを受ける機会があった。
「ブロックチェーン」というテクノロジーについての、基礎の基礎であったが、なるほどなと感心させられた。

要するに、取引記録を改ざんすることを、ほぼ不可能にする技術だという。たとえが正しいかどうかわからないが、「四次元コイン」みたいなものじゃないかと、思っている。
そこに存在する仮想通貨は、単体で存在するものではなく、生まれたときから今日までのすべての取引が「つながって」存在する。

もっと下世話なたとえで言えば、「金太郎飴」だ。


仮想通貨とは、長い金太郎飴の、先端の切り口みたいなものだ。先端だけを持ち去ろうとしても、根っこまでつながっているので、動かすと、ぷっつり切れてしまう。
じゃあと言って、途中のどこかで桃太郎に「顔」を変えようとしても、前と後ろは金太郎なので、整形したことがばれてしまう。

まあ、そういったような技術と受け止めた。

それは、画期的だよね。ほぼ、偽造不可能なわけだ。
もちろん、保管や輸送に物理的な縛りがない。理論的には、取り扱いコストもかからない。

中央銀行の管理下にないし、国家にも帰属しないので、基本的に自由だ。

決済手段として、画期的なポテンシャルがある。世界経済が変わるだろう。
「通貨」の意味が、変わってしまう。ユーロどころの話ではない。

「国家」の在り様にも、影響するだろう。中国共産党支配体制は、仮想通貨によって崩壊するのではなかろうか?

ヴァーチャルな通貨が主流になって、リアルな通貨が必要ないという状況が現実化した段階で、経済システムが激変する。経済的な国境がなくなる。通貨の移動が規制できなくなる。

人は、使いたい場所で金を使うことになる。中国の金持ちが、日本やアメリカで金を使う。
そうなると、「金を稼ぐ国」が豊かになるのではなくて、「金が使われる国」が豊かになる。
豊かさの尺度が、「所得」から「消費」に代わる。

さて、その時日本はどうなるか?


たぶん、「極東ディズニーランド」になるんじゃなかろうか。列島全体が、テーマパークになる。
こと「おもてなし」にかける情熱において、日本を上回る文化伝統は他国に存在しない。
日本中が世界中の金持ち(主に中国からだろうが)を惹きつけるテーマパークになり、コンビニになる。

コンテンツが国の豊かさを決める時代が来るのではないかと、思うのである。

中国共産党は仮想通貨を阻止しようとするだろうが、どこまで抵抗できるか?
仮想通貨が世界に与えるインパクトは、それほど大きいだろうと予測している。

歴史は、経済法則によって動くのだ。