「たなばた」は、元は「棚機」であったと言われています。音韻も、濁らず、「たなはた」だったのでしょう。古語ですから。
機は幡でもあり、織機で織った布とみられます。
棚とは、先祖の霊に供物を捧げる精霊棚のことと解する説があります。
また、「棚機女(たなはたつめ)」からきているという説もあります。
どちらも一面正しいのだろうと、思います。民俗風習に「真実」を求めるのはナンセンスなので。
個人的には棚機女説に直接的動機を認めます。「棚機」という器物が存在したのですね。
棚状の横板を持つ織機だということです。たぶん縦糸を交互に分離する仕切りの機能を、「棚」に持たせていたのじゃないかと、想像しています。
その間に横糸を通したのではないかと。
再現したレプリカとか、見てみたいですね。
棚機女は、当然、機織りをする女性を指すわけですね。畑仕事は体力に勝る男性が分担し、女性は機織りを担当するという分業が成立していたことを意味します。
七夕にいう、織女と牽牛です。
だけど、「たなはた」ですからね。
もう一声、「棚畑」という由来があってもいいと思います。
棚畑といえば、鉄穴流し(かんなながし)であり、ヤマタノヲロチであり、櫛名田姫な訳です。当研究所的にはですね。
櫛名田姫=農耕集団の象徴とみなしているのですが、時代を下れば、紡織文化の色彩が濃くなるのは自然です。
櫛名田姫は、栲幡千々姫(たくはたちぢひめ)に姿を変えていくのだろうと、考えています。
棚機女は、その流れを示す呼び名なんじゃないでしょうか。
岐阜県の「棚畑遺跡」からは、縄文時代の遺物が多数、発掘されているそうです。そのなかには、国宝に指定された「縄文のビーナス」が、含まれています。
棚畑と女性は、太古から結びついていたのだろうと、妄想を膨らませています。
これはすべて想像の産物である。