豊臣秀吉の中国大返し。その秘密に迫る。 | 「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

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小説家ワナビーの「藍染 迅(あいぞめ じん)」です。

書籍化・商業化を目指し、各種コンテストに挑戦しながら、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ、アルファポリスなどに作品を投稿しています。

代表作は異世界ファンタジー「「飯屋のせがれ、魔術師になる。」。

明智光秀が起こした「本能寺の変」。結果的に光秀は秀吉に敗れた。そこに秘密はなかったか?

信長討たれるの報せを受けるや、秀吉は間髪入れずに毛利方と和平を結び、電光石火、京へと全軍を帰還させた。

いわゆる「秀吉の中国大返し」である。秀吉軍の進軍速度が凄まじかったという例として、よく例に引かれるエピソードである。

しかし、早すぎるのだ。

京から使者が駆けつける時間、徒歩も含めて全軍が京まで走る時間を考えると、史実に残された日数で大返しを成し遂げることは、誰にも不可能に見える。

まず六月二日未明に勃発した変の知らせは、六月三日の夜ないし四日未明に秀吉陣に伝えられたとされる。秀吉はただちに敵方と和平を結び、敵将清水宗治の自刃を見届けた。これが六月四日の午前中と推測されている。

ここまでの流れは物理的に不可能ではない。不可能ではないが、六月三日の夜に知らせを受けてからその夜のうちに講和を成立させるなどということが現実に可能であろうか? 物の売り買いではない。一国一城の支配、城主の命を差し出させる交渉である。とても間に合うまい。

一方、京までの進軍行程を見ると、六月四日に出発すれば、途中姫路での一日休息を差し引いて一日当たり約三十キロの距離を進めば良いことになる。武器、具足を身につけた歩兵の行動速度としては妥当なところに思える。

一部の研究者は六月六日午後を出発の時点と考えている。この場合、途中沼城から姫路城までの約七十キロを、台風の中一日で走破しなければならない行程となる。不可能とはいわないが、かなり厳しいと言えよう。

ゆえに古くから、秀吉本人が光秀を裏から操った首謀者だったのではないかという、「秀吉陰謀説」が唱えられている。

当研究所のレポート、「信長殺人事件」では本能寺の変を信長自身が演出した狂言とする説を提示した。その時は、秀吉は事前に事情を知らされていたがゆえに、一見不可能な中国大返しを成し遂げることができたのだと推測している。

実は、誰が首謀者かという問題を棚に上げた上で、中国大返しを可能にするトリックはもう一つある。

それは伝書鳩の利用である。

伝書鳩として利用される「カワラバト」は、飛鳥時代に日本へ伝わったといわれている。仏教などとともに、大陸文化の一部として朝鮮半島経由で渡来人にもたらされたものであろう。

戦国の日本に、伝書鳩を使いこなす渡来系集団がいたとしても不思議はない。

伝書鳩を街道沿いに、たとえば十里毎に配置しておいたとしたら、本能寺の変の報は六月二日のうちに秀吉の陣までもたらされたであろう。

土師氏を祖とする渡来系技術集団「天神」が秀吉をサポートしていたらである。

それを疑わせる状況証拠は、別の稿で示した。すなわち秀吉が日吉大社系の神人出身だという仮説である。

天神が秀吉のバックアップをしていたなら、毛利家の領土まで鳩を駅伝で飛ばし、最後は使者を秀吉本陣に駆け込ませる。そういうことができたはずだ。そこから和議を開始すれば、六月四日に成立させるということも現実的になる。

京までの道々には、歩き続ける兵馬のために水と食料を同時並行で準備する。商業流通をも牛耳る天神のネットワークを使えば、これも難事ではない。

「中国大返し」とはまさに情報戦であり、兵站戦略が戦の勝敗を左右した絶好例であろう。そこに異能のネットワーク、天神の存在が浮かんで見えるのだ。

超時空小説「鉄と草の血脈」には、「戦国編」もやはり付け加えてやりたくなる。激戦の影に天神あり。そういう物語が描けそうな気がする。


これはすべて想像の産物である。

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