当研究所では菅原道真率いる土師氏の集団を「梅」と呼び、その発展形態である経済的ネットワークを「天神」とよんでいる。
両者は排他的な存在ではなく、天神の中に梅が包含される形と考えているのだが、梅が多分に血縁を基礎としているのに対し、天神はより経済的な結びつきをベースにしていたと想定している。
単純にいえば、商業と工業のネットワークといったものを、天神のモデルとしてイメージしているのだ。
いま、「古代日本の超技術」(志村史夫著 講談社ブルーバックス)という本を読んでいる。
なかなか読みやすい文章で、示唆に富む議論を展開している。
その中には、宮大工や大工道具職人、蹈鞴師、瓦職人などの技術者と、その技術の変遷が紹介されていて興味深い。
法隆寺建立の陰に土師氏の活躍を想像し、鎌倉、室町の建築に天神の暗躍を重ね合わせる。
じんわりと面白い。
例えば瓦職人などは、梅の面目躍如といったジャンルであったろう。
梅や天神には、やはり神や仏と向かい合う仕事が似つかわしい。
瓦と一口にいっても簡単なものではないらしい。
ブロック状に練り固めた陶土をワイヤーでスライスする工程があったらしいのだが、古代において鉄線を鍛えるのは並大抵でない困難である。
前述の書の作者は、そこに躊躇して苧麻や生糸などの繊維を寄り合わせた「糸」で切ることを考えたらしいのだが、それでは強度が足りないことが判明したようだ。
結局古代に鉄線を鍛える技術が存在したのであろうという推論を述べている。
当研究所であれば、もう少し自由である。
それは梅一族の鍛冶集団の仕事と割り付けできる。
瓦焼きには朝鮮からの渡来者が技術を伝えたらしいのだが。、基本的な焼き物の技術は既に日本に存在していた。
焼き物と鍛治の技術を融合するなどという場面になれば、梅一族の独壇場ではないか。
想像はいや増しに膨らむのである。
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