先日の下関観光で、山口県にはかつて長門鋳銭司と周防鋳銭司の二カ所が存在したことを知った。
しかも周防鋳銭司は最後の鋳銭司でもあり、百年程の間は日本でただ一つの場所であった。
道真の時代、鋳銭司といえば周防にしか存在しなかったわけだ。
だからであろう、山口市には「鋳銭司(すぜんじ)」という地名が残っている。
それだけの歴史的実績と、誇りが当地の文化に刻まれたということである。
周防鋳銭司を支えたのは、長登銅山である。長門で採れた銅は東大寺の大仏建立に使われた実績もある。日本の古代を支えた鉱山といっていい。
長門ではなく周防の鋳銭司が長く残ったのは、都に近い地理によるものであろうか?
ここらへんに天神ネットワークの活躍があってもいいなと、創作上のネタを模索中。
山口では、やはり萩についてもいずれ触れたい。
朝鮮出兵では陶工を連れ帰っているし、「須佐」なんて地名もある。探ればお宝ネタが出てくるんじゃないか。
楽しみはつきない。