■第一章:天神信仰の起源
何から話そうか?うん?ああ、道真の話だったな。
道真っていえば昔から学問の神様だ。天神様ってことになってるよな。
そう、火雷天神とか天満大自在天神とかいわれてる。
流石物書きさんだね。よく知ってる。
流石物書きさんだね。よく知ってる。
全国至る所に天満宮や天神社があるね。
一番旧いといわれている所はどこか、知ってる?
太宰府天満宮じゃないよ。
太宰府天満宮じゃないよ。
山口県の防府さ。
防府天満宮は、道真が死んだ翌年に創建されたことになってる。
防府天満宮は、道真が死んだ翌年に創建されたことになってる。
それくらい、死んだ側から天神信仰が始まったっていうことさ。
恨みを抱いて怨霊になったって話は幾らでもある。けど、天神だぜ?
道真ってのは、「死ぬ前から霊威を恐れられていた」っていう訳だ。
道真ってのは、「死ぬ前から霊威を恐れられていた」っていう訳だ。
それは何故か?っていうお話を、今日はしてやるよ…。
「道真殿、お陰で上手く運びました」
「それは何よりでございました」
「それは何よりでございました」
道真は、身分卑しからぬ人物の来訪を受けていた。
あることの礼をいいに来たのだ。
あることの礼をいいに来たのだ。
既に山程、礼の品が道真の許に届けられていた。
大したことをした訳ではなかった。
祝い事の準備で判断に迷うことがあり、どうしたものかと道真は占いを求められたのだ。
祝い事の準備で判断に迷うことがあり、どうしたものかと道真は占いを求められたのだ。
道真は故事来歴に詳しく、中国の律令制度についても深く研究を修めていた。
占いなどせずとも、公使を問わず一通りの問題には適切な助言を与えることが出来た。
占いなどせずとも、公使を問わず一通りの問題には適切な助言を与えることが出来た。
しかし理屈で割り切れぬ悩みがあるとき、人々は占いでの助言を道真に求めた。
道真の占いは、良く当たるという評判であった。
この日の客には、屋敷で開く宴の準備について相談されていた。
その宴には、客よりも更に高位の貴族を招いていたので、万に一つも粗相があってはならなかった。
遵るべき行いや器物の並べ方等、風水に関わる事柄を尋ねられたのだ。
その宴には、客よりも更に高位の貴族を招いていたので、万に一つも粗相があってはならなかった。
遵るべき行いや器物の並べ方等、風水に関わる事柄を尋ねられたのだ。
道真としては風水師の様に見られたくはなかったのだが、さる近しき人からの紹介があった為、止むなく引き受けたのであった。
風通しや日当り、建築上の配慮や医学、心理学等の要素を風水に見出だすことも出来る。その位のことであれば相談に乗るのは吝かでなかった。
人が道真に求めるのは開運であるとか、災い除けの類の話が多く、まあ大半はどうでも良いことであった。
いわば気の持ち様だ。
「その日の朝に屋敷を出て東南に進み、初めに出会った物売から買上げた物をお出しすると良いでしょう」
その客に勧めたのは、良くある縁起担ぎの行動であった。
客はいわれた通り、道で出会った魚売から、形の良い岩魚を買上げさせた。
これを焼いて出したところ、魚の腹から珠が出た。
見ると、珠には「健」という文字が浮き出ている。
「これは目出度い」
ということになった。
実は宴の主客は病が快癒したばかりの人物であった。
それを祝うことが、この日の目的だったのだ。
それを祝うことが、この日の目的だったのだ。
道真にはそこまでの事情は明かされていなかった。
それだけに、真らしき瑞兆を得て客は喜んだのだ。
それだけに、真らしき瑞兆を得て客は喜んだのだ。
分かり切ったことだが、すべて道真が演出したことである。
客の事情など、小者を使えば簡単に調べが付いた。
客の事情など、小者を使えば簡単に調べが付いた。
しかし、道真の「占い」は仕掛が精妙で時宜を得ている為、都人の間で悦ばれていた。
情報を集め、道具立てを用意し、ある時は役を演じる家人達。
道真は彼らを「梅」と呼んでいた。