「謎の都 紫香楽宮」 | 「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

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小説家ワナビーの「藍染 迅(あいぞめ じん)」です。

書籍化・商業化を目指し、各種コンテストに挑戦しながら、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ、アルファポリスなどに作品を投稿しています。

代表作は異世界ファンタジー「「飯屋のせがれ、魔術師になる。」。

1. 謎は信楽にあり:
 
当研究所で信長の時代を考察するうちに、信楽という土地に注目するようになった。
かつて「紫香楽宮」があった場所である。
 
中世から近世にかけて、この地を拠点としたある一族が、歴史の裏側で暗躍していたのではないかと考えるに至った。
 
まずは、紫香楽宮そのものについて考察を進めたい。
 
いま、時空の扉を開こう。
 
2. 紫香楽宮の成り立ち:
 
天平14年(742年)、大仏建立を志した聖武天皇は山深い紫香楽に宮造営を宣した。
 
まったく異例のことである。
 
「信楽は交通の要所」という見方もあるが、それは現代的感覚である。
当時にあっては、とてつもない山中に突如都を作ると宣言したことになる。
 
それは、なぜだったのか?
 
信楽を選ぶ積極的な理由があった。。
当研究所はこう考える。大仏建立に必要な、金が出たのだと。
 
まさに、信長が支配権を争うことになる伊賀の隠し金山こそ、紫香楽宮造営の動機であった。
 
宮造営の契機となった、大仏建立に話を戻そう。
大仏を作るためには、何が必要か?
 
まず、骨組みとなる木材である。
これは山国である日本では、どこででも手に入った。
 
次に、原型を作るための土である。
これも、至る所に存在する。
 
三つ目に、像を形作る銅である。
これは各地の銅山から運ぶことになる。
 
そういう意味では大量の銅を運び込む場所として、信楽の山中はふさわしい場所とはいえなかった。
 
四つ目に、像の表面を飾る金である。
これは銅よりも入手が困難であった。
 
紫香楽で金が出ると聞いた聖武天皇は、これを吉兆ととらえた。
大仏建立には縁起の良いこの地以外にはないと、遷宮を思い立ったのだ。
 
3. 山の民の抵抗:
 
紫香楽宮は、長く続かなかった。
大仏の完成を見るまでもなく、天平17年(西暦745年)には平城宮に再び都を移している。
 
近隣で山火事が多発し、また、激しい地震が続いた。
そのため聖武天皇は、紫香楽宮での大仏建立をあきらめたのである。
 
しかし、地震はともかく、人里離れた山奥で山火事が多発するものだろうか?
現代でも山火事の主な原因は、たばこの不始末なのである。
 
考えるまでもなく、放火である。
 
地震の件も怪しいものだ。
 
大陸から密かに伝わっていた火薬を用いて、夜な夜な爆発を起こし、地震を偽装したのではないか。
 
都育ちの役人を、トリックでだまして震え上がらせたのは、その地に住む山の民であった。
信楽で金が出ることを、世間から隠そうとしたのだ。
 
その後も、信楽の黄金が歴史の表舞台に出ることはなかった。
開発に当たろうとした都の役人たちを、山の民が妨害したのだ。
 
この一族こそ歴史の陰で、決定的な影響力を行使した闇の一族であった。
 
その正体については、また別の機会に語ることにしよう。
 

これはすべて想像の産物である。