1. 「本能寺の変」の不思議:
天正十年(1582年)6月2日未明、明智光秀が本能寺において織田信長を討った。「本能寺の変」である。主になり代わり、天下を我が物にしようとしたといわれているが、その後あっさりと、秀吉に討たれている。世にいう「光秀の三日天下」。
しかし、あまりにもお粗末な軽挙ではないか?計算も勝算もなかったのか?
明智光秀とは、それほど馬鹿な男だったのか。いや、信長もやすやすと討たれるほどに愚かだったというのか。いま時空を超え、「本能寺の変」の真相に迫ろう。
2. 数々の黒幕説:
「本能寺の変」は単独犯ではなく、明智光秀の背後には黒幕がいたという説が多数存在する。
秀吉、家康、朝廷、将軍足利義昭、イエズス会など、いろいろ説はあるが…。
どれも説得力に欠けている。
3. 信長を斃して、得るものは何か?:
まず、光秀であるが、動機その一としては信長に代わり、天下を制することであろう。
これは、秀吉や家康ら、信長連合軍のメンバー全員に当てはまるとともに、信長と敵対する勢力すべてに共通した動機といえる。次に、朝廷であるが、信長が天皇を中心とした朝廷制度になり変わる恐れに対して、対抗策をとるという動機がある。
イエズス会としては、信長よりもキリスト教布教に理解ある人間を支配の座につけることで、日本での布教活動を有利に運びたいという動機がある。
4. しかし、成算はあるのか?
信長一人を倒したところで、「信長連合軍」そのものは健在である。
実際の歴史がそうであったように、「犯人」は信長連合軍によって滅ぼされる運命にある。朝廷やイエズス会に対して、信長がことさら敵対的な姿勢を見せた事実もなく、特に暗殺しなければならない状況は存在しない。
信長を排除したところで、ほかの大名が弾圧的な姿勢をとらないという保証はないのだから。
戦国の時代であり、下克上の世である。覇者たる信長を狙う者は、まわり中にいた。それでも倒せないからこその覇者なのである。
5. 推理小説として見たときの「信長殺人事件」:
誰が犯人だとしても、本能寺の変は不可能犯罪ではなかったか?敵対勢力が京に攻め込むためには、信長同盟国の領内を通過しなければならず、事前に対抗策をとられてしまうことは必至である。
信長同盟国、あるいは織田家内部の裏切りを考えても、盟主の命なくして勝手に軍を動かすことはできず、動かせば必ず迎えうたれてしまう。秀吉は中国攻めの最中であり、柴田勝家は北陸を攻めていて、どちらも身動きが取れない状況であった。
家康は単身、堺にあり、軍とは切り離された状態だった。唯一、光秀だけが中国攻めの命を受け、軍を動かす正当な理由があった。
しかも、京まで半日足らずで行軍できる亀山からの出陣である。
信長はほぼ単身で、城に比べれば防備も薄い本能寺にいる。あまりにも、都合がよすぎないか。
こんなお膳立ては、意図して作り上げないかぎり、あり得ないことである。
誰かが綿密な計画の下、この状況を作り出した。それこそが事件の首謀者である。誰かとは、誰か?「信長殺人事件」の首謀者は、誰あろう織田信長その人である。
自作自演の不可能犯罪。それがこの事件の本質であった。いま、時空の扉を開こう。