先週の水曜日、
自分の子に 『玻南』 と名付けることを
認めない旨の 「最高裁決定」 があった。
「玻」 という字が社会通念上、
常用平易な文字であるとはいえない
との判断だ。
まぁ、法律に照らしてみれば
そういう結論になるのだろうが
私は 「玻」 という漢字を選んだ
美意識のほうに感銘を受ける。
両親が想起した 「玻璃」 は
短歌や俳句にもよく詠まれる
風情のある日本語だもの。
"常用平易"よりも "美"を
優先する世の中であってほしい。
小駒勝美さんの本(『漢字は日本語である』 )によると
戦前は 人名用漢字の制限なんてなかったみたい。
先日亡くなった井上ひさしさんも
本名は 「マダレに夏」 で 井上廈。
難しい漢字だけど、なんか味わい深い。
私がむしろ制限をしたほうがいいと思うのは
漢字の本来の読み方や意味を無視した名前。
とんでもない名前のこどもたちが増えている。
親はきちんと考えたんだろうか。 こどもの将来を。