余は今まで禅宗の

いわゆる悟りという事を誤解して居た。

悟りという事は如何(いか)なる場合にも

平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、

悟りという事は如何(いか)なる場合にも

平気で生きて居る事であつた。


-正岡子規 『病牀六尺』