小さい頃、待望の女児(私)が生まれたことで母はガラスのショーケースに入ったひな壇となんかもうひとつ一回り大きい人形、なんと説明しようかとにかく幼女の私にとってはとてつもなく不気味であったとしか表現できない日本人形を「あなたのために用意したのよ」と見せられたことがある

 

母は貧乏な家庭で育ったので家にはひな人形が無かったし、成人式にも行けなかったと聞かされた

だから娘にはそんな思いをさせたくないとひな人形を用意し成人式の費用も用意していたのである。

成人式は行きたくなかったけどそんな話聞かされたら同情して行くしかないやん

 

もちろん日本人形は不気味で全然うれしくなかったし、母の死後は押し入れの中に何体も日本人形がいるかと思うと不気味だったので即処分する方法を探した

人形供養はそれなりの費用がかかるものなんだけど、幸い母の葬儀で利用した会社が無料で供養するイベントをしていたので人形だけなんとか処分し、一人では持ち上げられないどうやって処分すんだこれというガラスケースだけ空っぽのまましまってある

 

母にはひな人形が欲しかったし成人式にも行きたかったという満たされない思い出が残り、私には親の自己満足のために我慢して受け入れたという2世代続けてなんか重苦しい思い出だけが残った

 

というお話である 

親がよかれと思って子にしてあげたことが不幸の連鎖になっちゃう事例

結局良いか悪いかなんて最初から本人に希望を聞かないとわからないんだと思う

クリスマスプレゼントは全部希望通りだったからいい思い出しかない。

 

世の中にはさまざまな理由で別に欲しいとは言ってない要らんもんを送り合う習慣が世界中にあるけど、そろそろなくなってもいいと思う 

私達はお祝いと称して知らず知らずのうちに「え・別にこれ使わないんだけど」という苦い思い出を送り合っているのではないだろうか

 

ちなみに友人に今までもらった誕生日プレゼントは全部気に入らなかったのでもう誰にも誕生日を教えないと心に誓いました

別に友人が悪いわけじゃなくて単に私のこだわりが強いのか他人が選んだ物を身に着けるのが向いてない