2
その冬、私を悩ませたのは耳鳴りの悪化である。
それまで耳が鳴るのは狭い空間にいる時だけだったが、この時期は常時鳴り響いていた。
耳鳴りの苦しみは、私にとってさほど鋭い苦しみではなかったが、常時続くとこたえるものがあった。そしてその苦しみには後悔の念が伴っていた。
(失聴したいという思いにかられて、自分の耳を傷付けるとはなんて馬鹿なことをしてしまったんだろう。もう少し早くぶっかけや同時噴射でストレスを発散する方法に気づいていれば…)
あとの祭りというものである。勉強ジンクスを失い、(勉強さえ頑張れば…)と考えることも無理になっていた。
(耳鳴りは恐らく一生続くだろう。この先一生この後悔の念を背負って生きていくことになる。「私」がどれだけ苦しもうが知ったことではないが、山梨学院の選手に影響すると思うとたまらなく悲しい)
また、そもそもの原因である咳に対する憎しみは膨れ上がった。
(いっそ、呼吸困難におちいるほど激しく咳き込めばいいのに…)
このようなことを思うのが日常茶飯事となっていた。
こう書いてしまうと人格を疑われるに違いない。しかしインターネット上にはPATMに関して次のような記述がある。
「地獄霊の影響です。
善良な人の心を狂わす惑わす方法として、この世において咳が非常に有効であることを地獄霊たちは知っています。理由なく不快な咳をする人間は、多かれ少なかれこういう地獄霊の影響を受けているのです。地獄的なものに影響される結果、間接的に精神的に他人を害す方法として咳という行動をとっているのです。それは犯罪にもならないし罪にも問われませんから、内部からじわじわと人間社会を破壊するのに好都合なものです。
これが今地上に人間社会に蔓延してるのです。」
地獄霊云々といったことの真実性は私には分からない。しかし咳が精神性を害するという部分に関しては、経験者として大いに頷ける。
咳の音を苦にしない読者は、「たかが咳程度のことでオーバーな…」と思われるかもしれない。しかし私は、このPATMに関する問題が社会に大きく影響しているのではないかと考えている。その理由については翌2014年の部分で述べることにする。