10月半ばに気づいた以下のジンクスは私に大きな衝撃を与えた。

 

 (イーグルスジンクス)

 楽天イーグルスが成績を伸ばした翌年、五十嵐久敏の自叙伝が進歩する。このことをイーグルスジンクスとよぶこととし、またイーグルスジンクスに有意性・法則性が存在するとする仮説をイーグルス仮説とよぶことにする。

 

 まずイーグルスの成績と自叙伝に関する過去を整理しておこう。

 05年、イーグルスは球団創設1年目のシーズンを戦った。シーズン100敗こそ免れたが、断トツの最下位に終わった。

 06年、私は初めて自叙伝執筆に挑戦した。その出来ばえは我ながらひどいものであった。

 07年、イーグルスは野村克也監督のもと初めて最下位を脱出し、4位に浮上する。

 08年、私は2回目、3回目と自叙伝に挑戦した。少しずつ文章にまとまりが出てくるのを実感していた。

 09年、イーグルスは前年5位から2位に浮上し、初めてCS進出を果たす。CS第2ステージで敗れ、その試合を最後に野村監督は退任した。

 10年、本書冒頭でふれたように私は4回目の自叙伝に挑戦した。上田監督にあてる形で書いた4回目の自叙伝の出来栄えにはある程度満足し、実際上田監督のもとに郵送して色紙をいただいたことはすでに書いたとおりである。

 しかしこの年度に山梨学院がシード権を逃したこともあり、以降しばらく自叙伝から遠ざかることになる。もう自叙伝を書くことはないだろう、と思っていた時期もあった。

 13年、イーグルスは星野仙一監督のもと、初のリーグ優勝を果たし、日本シリーズでも巨人を破って、日本一の座に輝く。

 14年、夏にドラマ影響説に思い至り、秋に「理性のゆらぎ」を読み、そして現在本書を執筆している。本書への手ごたえについてはすでに述べた通りである。

 ちなみに、2014年、イーグルスは再び最下位に沈んだ。

 このようになっていて、イーグルスの成績と自叙伝の自己評価を対応づけることは可能である。しかし自叙伝に関してはあくまでも自己評価であることは、注意すべき点である。

 私は前著「心はプルシアンブルー」にもそれなりに自信を持っていたが、カウンセラーのT先生には「共感できない」と言われてしまった。本書に関しても、まったく評価できないという読者は大勢いるに違いない。そうした読者からすれば、そもそもイーグルスジンクスなど存在しないということになるだろう。

 しかし、そのことを理解しつつ、なお、本書にかつてとは違う手ごたえを感じていることも確かである。私にとっては、イーグルスジンクスは確かに存在している。

 その認識のもとで、例によって偶然不信派と常識尊重派がイーグルス仮説の正否について論戦を繰り広げることになった。

 しかしこの場合は偶然不信派の方が分が良かった。

 それは単純に、私にとって、このイーグルス仮説がさまざまな意味で魅力的だったからである。

 まず、イーグルス仮説を信じれば、「なぜ自叙伝をうまく書けるようになったのか」という問いに対して、「イーグルスが強くなったから」という明快な答えを与えることができる。そしてこの時、次のような興味が生まれることになる。

(もしも仮にイーグルスがシーズン無敗で全勝優勝などしたら、どれほどの文章が書けるのだろうか?)

 楽天優勝時の成績は82勝59敗3分けというものだった。シーズン無敗というのは非現実的であるとしても、シーズン100勝くらいまでは現実的にありうる話である。

(イーグルスがさらに勝ち星をのばしたら、自叙伝はさらに進歩するのだろうか?)

 イーグルス仮説を肯定する立場から考えても、この問いに対する答えは分からない。イーグルスの順位が反映されるならば、イーグルスが日本一を経験し頂点を極めた以上、自叙伝もこれ以上進歩しないということになるだろう。勝ち数が反映されるのならば、自叙伝にもまだ伸びしろがある筈である。

 私としては勝ち数反映説を信じたいところだが、どちらかというと順位反映説を信じる気持ちの方が強い。球団創設2年目、イーグルスは変わらず最下位だったが勝ち数は伸ばしていた。その翌年、私は自叙伝を書いていない。このことを考えると順位反映説が正しそうだが、2008年の初頭に書いた自叙伝を06年のイーグルスと対応させれば、勝ち数反映説の目もある。

 結局この問いの答えは、実際にイーグルスが勝ち数を伸ばして優勝してみないことには分からないに違いない。しかしこのような関心のもと、未来に対する希望が生まれることは、イーグルス仮説を信じるご利益である。偶然不信派は、早速自叙伝を進歩させるためのいくつかのゲン担ぎを提唱した。それは楽天イーグルスをさらに強くするためのゲン担ぎでもあった。もっとも私のゲン担ぎは常々アテにならないので、その詳細については省略する。

 また、私はこれまで自叙伝を書いたことに対して罪悪感があったが、イーグルス仮説が罪悪感をふきとばしてくれることも大きい。

 思えば、咳に対する憎しみが心を支配するようになったのは2010年4回目の自叙伝を書いて以降のことだった。因果関係は不明だが、自叙伝の文章がまともになるごとに咳への脆弱さも増してきた経緯があった。そしてPATMがうみだしたぶっかけの習慣化が原発仮説の誕生につながっている。

 また自叙伝をネット上で公開すれば、同日にモグスが事故を起こす、ということもあった。

 これらのことを考えた時、自叙伝を書いて本当によかったのかというのは心もとないところであった。しかしイーグルス仮説を信じれば、事情は一変する。

 そもそも自叙伝を書いたのは、イーグルスの成績のおかげであって、自分の意志とは関係のない行動ということになる。また、懸命にプレーするイーグルスの選手に罪などあろう筈もなく、その産物である自叙伝執筆にも罪はない、という理屈が成り立つ。

 これもまたイーグルス仮説を信じることによるメリットである。

 このような魅力に抗って、イーグルス仮説を否定的に考えることは私には難しい。

 もっともイーグルスジンクスなどただの偶然であると考える常識尊重派の声も存在しないわけではない。

(かつて信じた「将棋」ジンクスも「勉強」ジンクスも崩壊した。大相撲が何とやら、というジンクスを信じていたこともあった筈だ)

―――私は以前、角界で起きる不祥事と神奈川大の低迷を結び付けて考えていたことがあった。神大がシード圏外に沈むと、相撲界で不祥事が発生する、というジンクスがあったからである。このジンクスに気づいたのは2010年のことだった。2010年に入って当時の横綱朝青龍、大関琴光喜が相次いで不祥事によって引退に追い込まれていたが、これを前年度の神大の箱根本戦不出場と結びつけて考えたのだった。

 しかしその翌年、神大が本戦に復帰し、復活の兆しを見せたにもかかわらず、相撲界は八百長問題が発覚し、本場所が中止となってしまう。この報道を見ながら、私はジンクスを信じていた自分を嘲笑するしかなかった―――

 このような過去の失敗を回顧し、ジンクスの絶対視を戒める常識尊重派の主張は私にももっともなように思える。

 また、本書を執筆する時点では、すでにイーグルスジンクスの存在を認識している。この点について、次のような指摘がありうる。

(この本の執筆を来年に後回しにすれば、それだけでイーグルスジンクスは崩壊するだろう。2014年イーグルスは最下位だったのだから)

 しかし私は2014年のうちに本書を書かずにはいられなかった。「心はプルシアンブルー」を信じる気持ちがあるうちに、箱根駅伝への想いを文章に残しておきたかったのである。

 何かに突き動かされるかのように文章を書くうち、やはりイーグルスジンクスの存在を意識せずにはいられなかった。本書を執筆しながら、筆が冴えれば、

(マー君のおかげです。ありがとうございます)

などと思っているのが現状である。

2013年、イーグルスの優勝はなんといっても、マー君こと田中将大投手の驚異的な活躍が大きかった。これはプロ野球ファンの誰もが認めるところである。

 「マー君、神の子、不思議な子」―――かつての野村監督の名フレーズが思い出される今日この頃である。

 

 さて、このイーグルス仮説の登場は、もう一つの原発仮説に対する態度にも影響を与えた。

(もしかしたら、自分はとんでもない影響力を持っているのかもしれない)

 そんな気持ちが胸のうちに膨らむのを認めないわけにはいかなかった。

 また、楽天イーグルスの正式名称は東北楽天ゴールデンイーグルスであり、その本拠地は宮城県の仙台にある。原発事故があった福島県も同じく東北地方であり、宮城県とは隣接している。

 このことも偶然不信派の目にはただの偶然にはうつらない。東北の地でイーグルスを応援する人々のことが他人事と思えなくなったのである。

(原発事故とPATMは関係しているのかもしれない)

 その考えが以前と比べて格段に重みを持ってくるようになった。春の時点では10%程度だった原発仮説を信じる気持ちは、この頃には50%くらいに上昇していた。

原発仮説の存在を無視できなくなって、私は恐れおののいた。依然、ぶっかけは続いており、改善の兆しはない。私にその状況を変える力はない。私程度の人間が国の未来を左右するような重大な問題を背負うようなことはあってはならないと思う。誰かに救いを求めよう、という気持ちが私に本書を書かせた最大の要因である。

 PATMはとても私ごとき人間に対処できる問題ではない。前に試みたように意図的に失聴することができれば話は早いが、現実的には難しいだろう。私にできるのは、せいぜい極力人のいない場所ですごすようにすることぐらいである。人通りの少ない道を選び、食事は屋外でとるようにしたとしても、咳から完全に逃れることはできない。

もし読者諸兄に良い知恵があれば、是非貸していただきたい。それが、あるいは日本を救う知恵になるかしれないと思う次第である。