私は1984年12月に生まれた。ちなみに、山梨学院大学陸上部が上田誠仁監督をむかえ本格始動したのが1985年4月である。この「偶然」もまた私にとっては興味深い。

 それはさておき、30年ほど生きてきて、世の中一番変わったと思うのはインターネットが普及したことである。インターネットを通して、まったく見知らぬ人と交流できるようになったことは驚くべきことだ、と素直に思う。また私のようなホームレス生活をしている者でも、ネット喫茶に行けば、低額の料金でインターネットを利用できることにも驚きを感じる。

 インターネットというと、私はいつもYahoo!のページを利用している。このYahoo!の中にはYahoo!知恵袋(以下では単に知恵袋と呼ぶことにする)というのがある。分からないことや悩み事を相談して解決するためのページである。

 以下では、知恵袋の利用についていくつかの説明をするが、普段よく利用していてご存知の方は適当に読み飛ばしていただきたい。

 知恵袋を利用するためには、まずニックネームを取得することが必要である。すでに他の人が使っているニックネームは使うことはできない。自分だけのニックネームを得て、「質問する」ことや「質問に回答する」ことが可能になる。

 例えば、何か聞きたいことがあって質問したとする。するとこの質問は「回答受付中の質問」になる。この「回答受付中の質問」には、基本的にはニックネームを持っていれば誰でも回答することができる。

 この質問に対していくつかの回答が寄せられたとしよう。ここで質問者の反応の仕方として3通りの選択肢が存在する。「ベストアンサーを選ぶ・質問を取り消す・放置する」の3通りである。

 ベストアンサーを選ぶと質問は解決済みとなり、以降回答することはできなくなる。質問を取り消すと、質問や寄せられた回答は消去され記録に残らない。放置した場合は、一定期間(基本的に一週間)がすぎると投票によってベストアンサーが選ばれ、解決済みになる。

 そして、これは私にとって重要なことだったのであるが、解決済みになった質問は、質問者も含め誰もウェブ上から消去することはできない。(この文章が、厳密に正しいかどうか若干疑問である。特殊な立場の人ならば消去できるのかもしれない)解決済みの質問は無期限で誰でも閲覧できる状態になる。

 ここまで書いたことは、質問に回答が寄せられた場合の話である。逆に、質問はしてみたが誰も回答してくれない、という場合はどうなるだろうか。この場合、質問は一定期間(基本的には一週間)がすぎると、自動的に消去されてしまう。

 もし仮に質問者がその質問をウェブ上に残したいのであれば、自分で質問に回答し、それをベストアンサーに選べばよい。

 さて、最初にニックネームを取得する必要があることはすでに書いた。質問する際、質問者はニックネームを公開するかどうか選択することができる。ニックネームを公開して質問した場合(ほとんどの質問者はニックネームを公開している)、その質問者の過去の質問履歴や回答履歴もまた、閲覧可能になる。

 また、解決済みとなった質問に関しては、質問日時や回答日時、解決日時に関しても記録が残ることになる。

 

 さて、10月に駅伝ポイント予測を考案したが、当初、この予測をインターネット上で公開するということはまったく考えていなかった。これには2つの理由がある。

 1つはそんなことをしても意味がないだろう、という考えからだった。

 当初、予測の公開場所として自分のブログぐらいしか考えつかなかった。それまでブログを書いたことはなかったが、ブログを開設し、そこに駅伝ポイントの計算方法と予測を書き記すという方法である。

 しかしブログが予測の公開場所として適切とは思えなかった。

 単純に私のブログなど誰も見ないということもあるが、それよりも問題なのはブログは後になってから消去することができるという事実である。

 このことを用いると、次のような「予測」が可能である。

 箱根駅伝の前に、駅伝ポイントに関して何通りもの数値を「予測」しておく。箱根駅伝が終わって実際の数値が出た後、その中から一番近い数値だけ残し、他の予測を消去する。

こうすれば残るのは一番近い数値だけであり、予測は的中したことになる。

 このようなことは多くの人が注目するブログではできないだろうが、誰も読まないようなブログ、つまり私のブログなら可能なはずである。

 このことを考えると、ブログ上で予測を当てたとしても、それがインチキでなかったことを後から証明することはできない、ということになる。

 こうした問題に加え、私の中にはインターネット上で自らの経験を語ることに、あるトラウマがあった。

―――箱根駅伝では、2区がエース区間であり、花の2区といわれる。この2区の区間記録を持つのは山梨学院大のモグスである。モグスは4年間2区を走り、4年時にマークした記録が2014年現在も残っている。

 留学生として箱根を走るケニア人ランナーは基本的に皆強いが、このモグスの強さは群を抜いていた。モグスが活躍していたのは、ちょうど私が「心はプルシアンブルー」を意識し始めた頃のことだった。私はモグスの圧倒的な強さを心から誇らしく思っていた。

 モグスは四年時の箱根駅伝を走り終えた後、卒業を前にしてケニアに一時帰省する。この帰省には、後輩のコスマスと就職先アイデムの木村翔コーチが同行していた。

 この帰省の最中、モグスの運転する車が交通事故を起こす。モグスとコスマスは軽症だったが、助手席に座っていた木村コーチは一時意識不明の重体となった。

 この事故のニュースを知った私は当然のことながらショックを受けたが、そのショックには通常以上の意味合いがあった。この事故が起きた日とまったく同じ日に私は自叙伝をインターネット上に公開していたのである。偶然の存在を信じない偶然不信派は自らの自叙伝公開が事故を招いたと考え、自分自身を大いに責めた。

 結局自叙伝は、特に反応のないまま、3ヶ月ほど後にウェブ上から消去された。

 木村コーチのほうは、その後意識を取り戻し、回復したとのことだった。

 私は、これまで数多くの「偶然」を経験し、その影響を受けてきた。「偶然」の存在こそが私の人生の主役といっても過言ではないほどである。しかしこの時ほど「偶然」を恨めしく思ったことはなかった―――

 このような苦い経験もあり、当初は駅伝ポイント予測をネット上で公開するつもりはまったくなかった。カウンセラーのT先生に聞いてもらって満足しておこう、というのが当初の考えであった。

 しかし、12月に入ってから、予測を知恵袋で公開するという案を思いつき、事情は一変する。

 この知恵袋で予測、という案はさまざまな意味で妙案に思えた。

 知恵袋では解決済みとなった質問を消去することはできない。また、質問者のニックネームをクリックすれば、過去の質問履歴の一覧を閲覧することができる。

 これらのことは、予測を公開する上で魅力的だった。

 そして知恵袋であれば、ある程度の数の人が閲覧するであろうことは、過去の経験からわかっていた。箱根駅伝直前の時期に箱根駅伝というキーワードをいれて質問すれば、それだけでけっこうな数の人が閲覧する筈だった。

 これらのことを考えた時、予測公開は実行にうつす価値があるように思えた。

 これに対し、偶然不信派が断固とした反対をとなえる。

(モグスの事故がただの偶然の筈はない。山梨学院大学最大の功労者がたまたま同じ日に事故を起こしたりするものか。あれをただの偶然と考えるのは愚かなことだ。

 あの時は後に自叙伝をウェブ上から消去できた。詳しくは知らないが、木村コーチもそのタイミングで回復したのではないか。

 今回知恵袋で予測したら、この先取り消すことはできない。取り返しのつかないことが起こるかもしれない。人から認められたいという自らの欲求のために山梨学院大学の関係者を危険にさらすつもりか)

 この反対意見は、私の心の中に大きく響いた。これに加え、次の理由による反対意見も存在した。

(過去の経験にもとづけば、予測が何年間も当たりつづける可能性が十分にあるように思える。そうしたら、予測公開が注目を集めることもあるかもしれない。そんな状態になることを山梨学院大学の選手達が喜ばしく感じるとは思えない。予測公開はやめておくべきだ)

 しかし、ここで知恵袋を使えないのはなんとも悔しかった。

(今年いずれにせよ、駅伝ポイント数値予測はする。多分、大きく外れることはないだろう。その予測の精度を、T先生にしか披露できないのはいかにも物足りない。

 この先、モヤモヤを抱えたまま生きていくことになるぞ。それが果たして山梨学院にとって最善なことなのか)

 ホームレスに戻って以降、ただ幸せになるだけでなく、人生の内容にもこだわりたいという気持ちが強まっていた。人生を変えるためには、ここで予測を公開することが不可欠であるように思えてきていた。

 議論は平行線をたどった。とても自力で結論が出せそうになかった。

 ここで折衷案が出される。

(こんなに悩んでいるんだったら、いっそ知恵袋で予測を公開していいかどうか質問してみたらどうか。予測を公開することを箱根駅伝ファンが歓迎するかどうか聞いてみたらよい。知恵袋は、本来悩みを解決するためにあるのだから)

 結局、この案が実行にうつされることになる。

 この質問に対して、「公開しても問題ない」という1通の回答が寄せられ、予測公開が決定した。

 当時は、この方法を民主的な決め方だと思っていたが、振り返ってみると、あまり賢い方法ではなかったように思う。私が予測公開を躊躇する最大の原因はモグスの事故だったが、質問に際してそのことを書くことはできなかった。自叙伝を公開したから事故が起きたなどというのは、偶然不信派の勢力が強い私の中だからまかり通る理屈であって、一般的な考え方の持ち主に理解してもらえるとは思えなかったからである。結局、二番目の懸念――選手やファンへの影響に関する懸念――のみを書いて質問することになった。この質問の仕方では「公開しても問題ない」という回答になるのは当然だったように思う。

 また回答者の少なさも誤算だった。私は、こんな重要なことを独断するのはよくないという考えのもとに、知恵袋で質問した。しかし、回答してくれた人はたった一人で、結局独断と変わらない形になってしまった。

 とはいえ、他にどんな決め方をすればよかったのかといわれると、あまり良い案は思いつかない。

 何はともあれ、予測は知恵袋で公開されることが決まった。

 自らの幸福度点数をもとに、駅伝ポイントの予測数値を出し、駅伝ポイントの計算方法とともに知恵袋に書き込んだ。駅伝ポイントの計算方法は少々複雑である。(本書では省略する)知恵袋の質問には字数制限があったがなんとかギリギリでおさめることができた。

 予測を公開するにあたって、私は次のようにお祈りしていた。

(もしこの予測公開が山梨学院大学の関係者に災難をもたらすなら、私の身にふりかかってほしい。誰かが死ななければならないのなら、私を死なせてほしい。)

 モグスの事故のとき、山梨学院大学OBでもある木村コーチが意識不明の重体にまで

なったことを思えば、再び、恐ろしい事態が起きることは充分にありえるようにも思えた。

山梨学院の関係者が死ぬくらいなら、自分が死んだほうがマシ、というのが率直な気持ちだった。

 

 予測は公開された。それに対して誰も回答してくれなかったので、自分で回答し、それをベストアンサーとした。質問は解決済みとなり、消去不能となった。勿論、今でもYahoo!知恵袋のページで閲覧することが可能である。

 こうしたことをする間、私は毎日のようにスポーツ新聞を購入し、良からぬニュースがのっていないかチェックしていた。

 果たして、悪いニュースは何ものっていなかった。私は大いに安堵したものである。

 

 年の終わりはすごくいい気分だった。

 ホームレスに戻ったこと、駅伝ポイント予測を思いついたこと、勇気を振り絞って知恵袋で予測を公開したこと、それらが誇らしく感じられた。

 その誇らしさは2年ぶりのシード権獲得を確信させるのに充分なものだった。