私は、自らの精神状態と山梨学院大学の成績の連動について固く信じているが、これに対して次のような指摘がありうる。

「人間の記憶は容易に改ざんされる。精神状態などというあいまいなものに関しては、特に改ざんされやすい。「心はプルシアンブルー」という仮説を失うことを恐れる脳が、箱根駅伝の結果に合わせて、精神状態に関する記憶を改ざんしているのだ」

 このような指摘を想定して始めたのが、精神状態を数値化することであった。

 箱根駅伝の前に1年間の精神状態の数値を出しておけば、記憶の改ざんはできなくなる。

 しかし、この精神状態の点数から山梨学院の順位をどこまで予想できるかと考えてみると、あまり自信がもてないところである。

 12位、9位、11位と推移した2010年~2012年度の幸福度は、それぞれ18.5、21.5、14.5という数値である。また6位だった2008年度の幸福度は21.0だった。

 このことから、6位だった年より9位だった年のほうが幸せで、11位だった年より、12位だった年のほうが幸せだったことになる。精神状態が必ずしも順位に反映されるわけではないのである。

(このようなことをふまえて尚、「心はプルシアンブルー」を信じ続けているのはなぜか?その根拠はどこにあるのか?)

 この自問に対する自答が以下である。

(前回、山梨学院は11位という結果に終わり、そして私は「心はプルシアンブルー」を信じ続けている。もし仮に12位や13位という結果でも信じ続けていたに違いない。またギリギリ10位に入ってシード権をとっていたとしても、恐らく信じ続けていた筈である。しかしもし仮に3位とか5位といった結果だったら、仮説を撤回せざるを得なかっただろう。「心はプルシアンブルー」を意識するようになって、すでに10年近くたっている。その間、仮説を撤回せざるを得なくなる可能性は毎年あった。そのなかで、10年近く信じ続けているのは、確率的に見てそれなりに稀少なことである筈だ)

 もし、順位が1つ2つ上下していたらどうだったか、ということを発展させて次のようなことを考えたこともある。

(例えば、1月2日3日箱根駅伝を見ずにすごす。翌4日の新聞には各大学の総合成績と復路各区間の記録がのった成績表が掲載される。ここで誰かに協力してもらい、この成績表の大学名・選手名をすべてマジックで塗りつぶしてもらう。

 こうしてできた表を見て、どれが山梨学院かあてろ、といわれたら多くても5チームくらいに絞る自信がある。20チームのうちの5チームだから確率は4分の1、たいしたものではないが、10年20年続けばけっこうな数値になる筈だ)

 もっとも、この方法は協力者も必要であり、あまり現実的とはいえない。また、大会が終わってからしかできないので、予測になっていないことも魅力的でない。

 ここで次のような自問をしてみた。

(通常の順位予測ではあまり自信がもてないのに、この成績表をぬりつぶす方法ならば自信がもてるのはなぜか?)

 これに対する自答が以下である。

(成績表には総合タイムや順位の変動がのっている。それらも加味して考えることができるからだ)

 例えば過去の経験に基づけば、山梨学院がシード権争いに巻き込まれるかどうかは、私の精神状態に大きく影響する。同じ9位でも、シード権ギリギリの9位と余裕をもってシード権を確保した9位では、かなり様相が異なる。

 また総合タイムの良し悪しが精神状態に影響することも、2010年・2012年の経験から感じ取っていた。

 成績表にはそうした情報ものっているので大いに参考にすることができる。

 と、こうしたことを考えていた時――自転車をこぎながらだった――突如ひらめく。

(それならば、順位・総合タイム・順位変動などをひとつにまとめた数値を自ら作ってしまえば、その数値を予測することができる)

 順位や総合タイム、あるいはタイム差などを個々に予測することは私にはできない。

 しかし、それらすべてをひっくるめた数値ならば予測できるのではないか、ということである。

 この後、駅伝ポイントなるものを作ることになる。駅伝ポイントとは私の造語で、順位・順位変動・総合タイム・シードラインとのタイム差・区間賞の数という5つの要素をポイント化し、足し合わせたものである。

 この駅伝ポイントの計算方法を確立するにあたっては、いくらかの試行錯誤が必要だった。過去のデータに関して、幸福度の点数と駅伝ポイントが比例するようにする必要があったからである。

 試行錯誤の末、駅伝ポイントが完成した時の感慨は忘れ難い。

 それは消えていた心の灯りが再びともったような感覚だった。

 前年度のシード落ち以降、私は人生に対してやる気を失っていた。幸せになるためになにをすればよいか分からず、無為に日々を過ごすことしかできなかった。ホームレスに戻って精神状態が少し上がったとはいえ、それも大部分は酒の力に頼ったものだった。

(咳を憎み、耳鳴りに苦しみ、そうした状態で生き永らえて何になるというのだろう?)

  このような絶望感が胸に巣食う時が少なからずあった。

 しかし、この駅伝ポイントの考案がそのような絶望感を消し去ってくれた。

 私は駅伝ポイント予測に関してある程度自信を持っていた。

(多少誤差はあるかもしれないが、そう大きくはずれることはない筈だ。この予測を何年か当て続ければ、私が経験している不思議を認めてくれる人がでてくるかもしれない。)

 来たる第90回箱根駅伝と初の予測挑戦に思いを馳せると胸が弾んだ。

 この時から、私は2年ぶりのシード権獲得について確信に近い感覚を持つようになる。もしも読者が箱根駅伝に詳しければ、この確信に近い感覚がまったくの出鱈目であることが分かる筈である。