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3月に入った頃、私は1つの決断をする。それは再びホームレスに戻ろう、というものだった。
過去、2008年7月~2010年1月まで、およそ1年半のホームレス経験があった。その頃の2回の箱根駅伝では、山梨学院は6位、3位と健闘している。勿論、私の精神状態も、その順位にふさわしいものだった。
その後家に入ると、12位、9位、11位と苦戦が続いた。その間起きたことのひどさはすでに書いたとおりである。
過去の経験から、自分がホームレス生活をさほど苦にしないことは分かっていた。加えて、家を出れば当然のことながら家賃がうき、経済的余裕も増す。
―――ホームレス生活をする際問題となるのが、冬の寒さをどうしのぐかということである。この点に関しては、カイロが重宝する。ドラッグストアに行くと、カイロ30枚を500円程度で購入することができる。30枚もあれば、たいていの寒さはしのげる。当時暮らしていたアパートの家賃が1か月2万5千円であったことを思うと、ホームレス生活はやはりお得である―――
このようなことを考えれば、ホームレスに戻ることを躊躇する理由はなにもなかった。
気温が暖かくなる5月の到来を待って、2度目のホームレス生活が始まった。
3年3ヶ月暮らした部屋を出るとき、次のようなことを思っていた。
(あまりに大きくなった咳の影響、自ら招いた耳鳴り、原発事故と放射能への不安、期待はずれだった速読教室、「将棋」や「勉強」に関するジンクスの崩壊…ひどすぎる、呪われたかのような3年間だった。この先、金輪際、アパート一人暮らしはやめておこう。)
生涯ホームレスの決意である。
この生涯ホームレスの決意には、もう1つあるジンクスが関係している。
(一人暮らしジンクス)
五十嵐久敏がアパートで一人暮らししていると、日本と縁のあるケニア人ランナーが度々不慮の死を遂げる。
私がアパートで一人暮らししていたのは2004年4月~2008年6月と2010年1月~2013年4月の約7年半である。
この間、3人のケニア人ランナーが早すぎる死を遂げていた。サムエル・カビル(2004年)、ジョセフ・オツオリ(2006年)、サムエル・ワンジル(2011年)の3人である。いずれも日本での活躍経験のある選手たちだった。
私は、この3人の死には、それぞれ大きなショックを受けた。死因は病気や事故などさまざまだったが、いずれも私がアパート一人暮しをしている時に起きていた――世間一般の常識にしたがえば、これはただの偶然である。
私の中でもこれは「偶然」にすぎないだろう、という気持ちが強い。山梨学院OBだったオツオリさんはともかく、他の二人は山梨学院とは直接関係のなかった選手である。その死を私の生活と関係づけるのは無理があると思う。
しかし、偶然不信派は、3人の死がもたらしたショックの大きさを根拠に、これもまたただの偶然ではないと考え、一人暮らしは絶対にしてはならないと主張した。
こうした偶然不信派の声に耳を傾けていると、時として自分がとんでもない影響力の持ち主なのではないかと思えてくることがある。
(それはただの妄想に過ぎないのだろうか? それとも自分は本当に特別な人間なのか?)
これこそが私の中にある最大の問いである。
この問いは、翌年、さらにインパクトの強い形で繰り返されることになる。
ホームレスに戻ってすぐの頃、人生初のカウンセリングを経験している。インターネットで見つけた、名古屋市内のカウンセリングルームを訪ねたのだった。T先生がこのカウンセリングルームの室長をつとめていた。
最初のカウンセリングで、私は自らの経験についてはほとんど話さなかった。ただT先生にお願いして、あるお芝居につきあってもらった。T先生に神様の役を演じてもらい、その神様に私がお願いするという設定だった。
「五十嵐久敏という存在は1つの事件だと思います。事件の全容を解明してください。全容を解明できるような社会を作ってください」
このようなお願いをした。それは私の魂の叫びであった。山梨学院のこと、神奈川大のこと、さまざまな偶然のこと……私はそれらを経験したが、その本当の意味についてはなにも理解していない。このままでは死ねない、という思いがこの神頼みにつながった。
T先生演じる神様は
「全容を解明します」
と答えてくれた。
この神頼みカウンセリングを機に、精神状態は少しずつ上昇していくことになる。
大きかったのは、お酒を飲むと耳鳴りが軽減することが分かったことだった。この年の夏は、もっぱら「いいちこ」ばかり飲んでいた記憶がある。勉強ジンクスを失い、精神状態をあげるためにできるのは飲酒くらいのものだったのである。