2011年、東日本大震災にともない、福島第一原発に異常が発生し、放射能や汚染水の拡散・流出といったことが報道されるようになった。これらのことは多くの日本人が知るところである。この節では、この問題に関して私が感じてきたことをまとめておきたい。さきほども書いたように、私には科学的知識とよべるようなものは何もないし、また政治的な話も週刊誌に書いてあること以外はなにも知らないといってよい。その点を予めご理解していただいて読んでいただければ、と思う。

(原発事故が箱根駅伝の未来に影響を及ぼすことがあるだろうか?)

 これは、原発事故が起きた当初から私の頭の中にあった疑問である。

 原発事故については、当時の枝野幸男官房長官の「ただちに影響はない」という言葉が有名である。少なくとも箱根駅伝の記録に関してはこの言葉に嘘はなかった。

 東洋大学が大会記録を大幅に更新したのも原発事故以降のことである。

 また全国高校駅伝は各都道府県の代表校によって争われるが、福島県代表の高校が上位に顔をだしたこともある。

 こうした結果を見る限り、特に影響は出ていないといってよいと思う。

(しかし、原発事故以降に生まれた子供が大学生になった時はどうだろうか? 2世代、3世代後の世代ではどうだろうか?)

 このような疑問は私がいくら考えたところで答えが出せる問題ではない。誰もこのような不安について語っていないようであるし、無知ゆえに生じる不安であるようにも思える。しかし結局は実際にその時になってみないと分からないに違いない。原発事故の影響によって箱根駅伝の未来に影がささないことを願うばかりである。

 原発の問題に関しては、このような、素人が考えても絶対に答えが出ない問題が多々ある。

(福島の事故はどれくらい深刻なものだったのだろうか?)

 この疑問も私の手にはおえない。

 福島の事故は以前にあったチェルノブイリの事故とよく比較される。チェルノブイリよりもはるかに深刻であるという論者もいれば、チェルノブイリよりも軽微であるという論者もいる。また、そもそもチェルノブイリの事故がどれだけ影響があったのかということに関しても、論者によって結論が大きく変わってくる。

 こうしたことだけ考えても、福島の事故がどの程度のものであったのかさっぱり分からなくなる。こういったことは科学的知識があれば、その議論の内容を吟味することもできるのだろうが、私のように知識のない者はそういうわけにもいかない。

 更に週刊誌によく書かれているのが、汚染水が流出しているという話である。

 そもそも汚染水が具体的にどういったものであるか私にはまったく分からないが、とにかく汚染された水が海に流れている、ということはよく言われる。このことに関してよく使われるのが垂れ流しという言葉である。

 こうした報道を読んでいると、原発事故は現在進行形で深刻さを増しつつあるのではないか、という印象を受ける。もっともそれはあくまでも印象であって、実際のところどうなのかということは私には分からない。

 また、この原発事故が日本国民の精神にどの程度の影響を及ぼしたのか、ということも私にはよく分からない。

 例えば、原発再稼動に反対するグループの人たちが、原発の事故を深刻に受け止めていることは分かりやすい。しかし原発事故に対して態度を特に表明していない人々が、内心この事故に対してどのように感じているのかということはあまりよく分からない。おそらく、私は平均的な日本人よりも原発事故を深刻に受け止めているだろうと思う。しかし平均的な日本人の受け止め方とどの程度離れているのかといわれると、まったく分からない。

 普段生活していて誰かと原発の問題について話すということはまずありえない。また電車などに乗っていて、他の人がそのような話をしているのを聞いたこともない。

 またプロ野球などのスポーツを見ていると、原発事故以降も以前と変わらず海外から日本にやってきてプレーしている選手が多数いる。山梨学院大学にも、この年新留学生のオムワンバが加入していた。

 こういったことを考えてみると、平均的な感覚の持ち主は原発事故などさほど問題視していないのではないか、と思える時がある。

 とりあえず間違いないのは、私にとって原発事故がショックであったということだけある。私は常識をわきまえない人間であるが、「動物にとって健康が重要である」という常識だけは充分に理解しているつもりである。原発事故の影響など1回のレントゲン検査と変わらないという主張も知っているが、本当に大丈夫なんだろうか、という不安は大きい。

 また、私は原発事故以前は日本は世界有数の恵まれた国であると認識していたが、その認識は過去のものとなり、実は日本は相当異常な国なのではないかという疑念が芽生えた。この点に関してはネット上の言説の影響を大きく受けている。そうした言説をどこまで真に受けていいのかということも私にはよく分からないところである。

(世の中のことは分からないことだらけだ)

 そう思うようになったことが、原発事故が私に与えた最大の影響かもしれない。