2011年

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 私の正月は横浜に住む母の家に行き、箱根駅伝を見るのが恒例になっている。この年も例外ではなかった。

 前節でも書いたとおり、私は山梨学院がシード権を取る可能性のほうが高いとみていた。

確かに咳がもたらした苦しみの大きさは尋常なものではなかった。しかし、山梨学院がシード権争いに巻き込まれただけでも大きな苦しみを味わってきた過去を思えば、シード権争いに巻き込まれながらもなんとかシード権を確保することが充分に考えられた。

 一方2年ぶりの出場を果たした神奈川大学の結果も気になるところだった。海外小説ジンクスは続くのか、少読効果は出るのか、そんなことも考えながら、2日間テレビの前にかじりつくことになった。

 ―――第87回箱根駅伝はその長い歴史の中でも特別にスリリングな大会となった。そのことはデータが如実に示している。優勝校早稲田大学と2位東洋大学の21秒差は、優勝校と2位校の差としては史上最小であった。シード権をめぐる10位争いも激戦になり、10位国学院大学と11位城西大学が、やはり史上最小のわずか3秒差で明暗を分けた。

 このシード争いは、初めてシード権を獲得した国学院大学アンカーの寺田夏生がコースを間違え、タイムロスするというハプニングも加わり、箱根駅伝ファンの間では伝説となっている。その伝説のシード争いに山梨学院大学も最終盤まで加わっていたが、ラスト2km地点でアンカー中原薫が力尽き、12位でのゴールになった。 

 またこの大会は、コンディションに恵まれたこともあり、全体的にレベルが高かった。12位だった山梨学院の11時間13分50秒というタイムもまた、全体のレベルの高さを物語っている―――

 大会前の予想を思えば、12位という結果は必ずしも予想通りとはいえなかった。しかしゴールの瞬間わきあがったのは(やっぱりそうか…)という気持ちだった。咳による尋常ならざる苦しみを思えば、シード落ちのほうが「心はプルシアンブルー」らしいように感じられたのだった。

 実は12位という順位は山梨学院にとって馴染みのある順位だった。2002年度、2005年度と山梨学院は準優勝を果たしているが、その翌年度はいずれも12位に転落している。今回もまた前年度3位からの転落だった。

 2003年、2006年はいずれも幸福度は一桁の点数で、大げさでなく死にたくなるほどの苦痛を味わっていた。それに比べて2010年は咳による苦しみを除けば、精神状態は必ずしも悪くなかった。将棋は日々の生活に潤いを与えてくれたし、上田監督からいただいた色紙は今でも大切な宝物である。

 同じ12位という順位でも、2003年・2006年と2010年では精神状態が大きく異なる――この点を私は次のように解釈していた。

(11時間20分台だった2003・2006年度と比べ、今回の11時間13分50秒というタイムは10分前後上回っている。このタイム面での大きな差が、精神状態に反映されたのだろう。また2003・2006年度と違い、今回は10区終盤まで8~12位集団の中にいた。このこともまた喜びと憎しみが同居した自らの胸中を示しているように思われる)

 この解釈をこじつけだと考える方もおられよう。それは致し方のないことである。確かに私はシード落ちを必ずしも予想していなかったし、同じ12位でも大きく精神状態が異なるのも事実である。これらのことから「心はプルシアンブルー」は妄想にすぎないとする指摘も充分に理解できるものである。

 しかし現実には、私は上記のような解釈をして、翌年度も「心はプルシアンブルー」を信じながら生活していくことになる。

 さてもう1つの注目、神奈川大学は11時間16分37秒というタイムで15位だった。海外小説ジンクスの影響か、やはり山梨学院大学を下回っていた。しかし大会全体のレベルが上がる中で、11時間16分37秒というタイムも、15位校としては悪くないタイムである。神奈川大学を指揮する大後栄治監督のコメントからもある程度満足というニュアンスが読み取れた。

 そもそも海外小説ジンクスを信じていいのかどうかという疑問はあったが、私は次のような方針を固めることになる。

(とりあえず今回、神大のタイムが伸びたのは海外小説少読効果のおかげと考えておこう。その考えが正しいのかどうかはともかく、そう考えた方が先につながる。海外小説の読み方を更に工夫すれば、神大のタイムも上がり、山梨学院のタイムの上昇につながるかもしれない。2011年も海外小説を読もう)

 この方針は、2011年の生活に影響を与えることになる。この方針のもと、私がチャレンジしたのは速読だった。海外小説の読書時間を短縮してみようという考えからである。

2011年前半、私は速読に対して強い期待感を抱いていた。本を1冊5分程度で読めるようになれば、精神や頭脳にも好影響を期待できそうに思えたのだった。

アルバイトを変えるなどして貯めた30万円を払って速読教室に通ってみたが、その成果はあまりにも期待はずれだったといわざるを得ない。速読教室に通って分かったのは、本は雑に読めば速く読めるというごく当たり前のことだけだった。

結局半年ほど速読教室に通って身についたのは、飛ばし読みとほとんど変わらない形ばかりの速読術だけだった。