私は「心はプルシアンブルー」を固く信じている。それが偶然のうみだした幻想にすぎない可能性については、普段まず考えることはない。

 もしも過去の経験がすべて偶然にすぎないと分かったら、その時私は人生に対するあらゆる意欲を失うだろう。人生などどうでもいい、と思うに違いない。

 こうしたことをふまえれば、「心はプルシアンブルー」を単に信じたいから信じているという側面がたぶんにあることは否定できない。しかしその部分を差し引いても、「心はプルシアンブルー」は尋常ならざる偶然であると思う。そのことを伝えたくて、2006年以降私は幾度も幾度も自叙伝を書き直してきた。

自叙伝を書いているうちにうまれたのが、幸福度を点数化するという習慣だった。自らの精神状態の変遷を数値にすることで読者に伝えようと考えたのである。

幸福度の点数化は以下の方法で行う。

1年を3ヶ月ごとに区切り、それぞれ10点満点で精神状態の点数をつける。点数が高いほど幸せということになる。普通に計算すると、10×4で40点満点になるところだが、ここで1つ工夫を加える。1~3月の点数を×0.5倍し、10~12月の点数を×2倍にするのである。

この計算方法について、ある人から「なぜ、そのような計算をするのか理解できない」

という指摘を受けたが、これは次のような考えによる。

 1~3月というのは年は変わっているが、年度でいえば前年度のままで、中途半端な時期である。大学の陸上部も、卒業前の4年生が在籍し、新入生はまだ入学していない。そのため、この時期の精神状態は×0.5倍し軽視することにした。

 一方で、10~12月の精神状態は特に箱根駅伝の結果に反映されやすい、というのが過去の経験に基づく私の考えである。箱根駅伝が近づくこの時期に幸福感があれば1年間すべてが報われたような気持ちになるし、逆の場合は大きな徒労感が胸をしめる。このようなことから10~12月の精神状態は特に重視し、×2倍することにした。

 この計算方法でいくと、5+10+10+20で45点満点ということになる。この方法で幸福度を数値化してみると、数値と実際の感覚が一致し、この計算方法が定着した。幸福度と実際の精神状態の対応は次のようになっている。

 

30~  至福の状態

25~30 かなり幸福

20~25 まずまず幸福

15~20 少々厳しい

10~15 かなり厳しい

~10  生き地獄

 

 さて、私の2010年は銃刀法違反での逮捕から始まった年だった。この逮捕をきっかけに半ば強制的にアパートに入れられ、アパートでの一人暮らしが始まった。その後自叙伝を書き、咳に苦しんだことはすでに書いたとおりである。

 そんな2010年も終わりに近づき、幸福度の暫定数値を計算してみたところ、18.5点という数値であった。表を見てみると、「少々厳しい」の部分に含まれる。これは直近の3年間と比べて1番悪い数値だった。特に、ホームレス生活をしていた前年の26点からは大きく下落していた。これはなんといっても咳による影響が大きい。

 しかし2010年は悪いことばかりでもなかった。当時毎週日曜日に将棋道場に通っていたが将棋が与えてくれる高揚感は大きなものだった。また、年明けに書いた自叙伝を秋に山梨学院大学の上田誠仁監督のもとに郵送してみたところ、直筆の色紙を送り返していただいた。この時味わった喜びも印象深い。加えて10月の箱根予選会では、神奈川大学が8位で通過し2年ぶりの本戦復帰を果たしていた。少読効果へ       の期待もつながり、人生に希望をもたしていた。

 これらの喜びや希望と、咳への憎しみが入り混じった状態が18.5という数値に反映されている。この数値から、山梨学院が上位でゴールすることは難しいが、シード権はなんとか取れるのではないかと考えていた。

 1996年度以降で考えると、山梨学院は03年度、04年度、06年度と3回シード権を逃していた。これらの年、私の幸福度はいずれも15点未満で「かなり厳しい」もしくは「生き地獄」の状態だった。

 箱根駅伝の実況で、「シードを取れば天国、シードを逃せば地獄」という言葉が使われることがある。「シードを逃せば地獄」は私の実感とも一致している。しかし私の場合、「シードを取れば天国」というわけでもない。過去を振り返ると、山梨学院がシード権争いに巻き込まれた末になんとかシード権を確保した年(度)も大きなストレスにさらされてきたことが分かる。印象深いのは99年度~01年度の3年間である。この頃、山梨学院は3年連続9位で、当時9位までに与えられるシード権をギリギリで獲得していた。3年間の私の幸福度は16前後で、苦しい学校生活を送っていた。

 その頃よりは多少幸福度が上回っていることから、なんとかシード権は守れるだろう、と考えていた。

 しかし、自らの耳を破壊しようとしたほどの咳への強い憎しみは、シード権喪失の予兆であるようにも思えた。少なくともシード争いには巻き込まれるだろうと確信していた。

 当時意識していたジンクスに次のようなものがある。

 

(将棋ジンクス)

五十嵐久敏が定期的に将棋を指した年(度)は、山梨学院大学は箱根駅伝で6位以内にはいる。96年度以降はじまり、09年まで続いていた。

 

 実を言えば、毎週将棋道場に通っていたのもこのジンクスを意識してのことだった。2010年も1年間将棋を指したが、山梨学院が6位以内に入れるとは思えなかった。

 07年以降心のよりどころとしてきた将棋ジンクスの崩壊を覚悟していた。

(すべて咳のせいだ。咳さえなければ…)

 初めて体験する耳鳴りを抱えながら、無念の中2010年は終わった。