あとがき

 

 本書の大部分を執筆したのは、2014年の年末である。結論から言えば、そのおよそ2年後、2016年度の箱根駅伝で「心はプルシアンブルー」は崩壊することになる。

 2014年度の箱根駅伝で、山梨学院は9位に入り、3年ぶりにシード権を獲得する。2区終了時最下位から徐々に順位を上げ、アンカーで逆転してシード権を取ったレース展開は、私の心象風景を映し出しているように感じられた。私は「心はプルシアンブルー」の継続を確信した。

 翌2015年、私の精神状態は久々に安定する。幸福度22.5は2010年以降ではもっとも良い数値だった。

 夏場には箱根山が噴火しかけ、箱根駅伝の開催が危ぶまれた時期もあったが、なんとか沈静化し、例年通り箱根駅伝が開催された。山梨学院は終始シード圏内でレースを進め、8位で2年連続のシード権を確保する。順位、レース展開ともに、私の予想通りの結果だった。

 この頃には、「心はプルシアンブルー」はこの先も末永く続くのだろうという従来の考え方に戻っていた。

 翌2016年も精神状態は悪くなかった。前年を上回る精神状態を味わいながら、山梨学院は6~7位ぐらいになるだろうと予想していた。

 しかしこの予想はものの見事にはずれる。2016年度の箱根駅伝では、山梨学院は1区から出遅れると、1度もシード圏内に浮上することなく、17位でレースを終える。最後は繰り上げスタートになり、字体の変わった新しいタスキをつなぐことすらできなかった。大会直前に部内で蔓延したインフルエンザの影響が大きかったという。タスキの変更が「心はプルシアンブルー」崩壊の要因であると偶然不信派は解釈している。

 こうして「心はプルシアンブルー」は崩壊した。どう解釈しても、この結果と私の精神状態に関連性を見出すことはできない。

 また、この大会で神奈川大学は5位に入り、12年ぶりにシード権を獲得した。2016年も私は海外小説を読んでいたので、海外小説ジンクスもまた完全に崩れ去ったことになる。

これらの結果を青天の霹靂と感じてしまう私はやはり変わり者なのだろうか。

 「心はプルシアンブルー」が崩壊した今も、「心はプルシアンブルー」を経験できたことに対する感謝の念は変わらない。

 「心はプルシアンブルー」崩壊後、山梨学院大学は低迷期に入った。2016年度以降の箱根駅伝の結果は17位、18位、21位、予選落ち、19位、18位、14位、23位というものである。この間にユニフォームの色もプルシアンブルーからc2cブルーに変わった。このことを残念に思うファンは少なくないようだ。

 私はユニフォームはともかく、タスキだけでも元の字体のプルシアンブルーのものに戻せば「心はプルシアンブルー」は復活すると考えている。タスキが元に戻ることを祈念しておきたい。

  

さて、2020年初頭に私はトゥレット症といわれる病気を患った。自分の意志と関係なく口がまわってしまうというのがこの病気の主症状である。この病気も耳鳴りの時と同様、自らの行為によって招いたものであった。

 一方、世界は2020年、コロナ禍の時代へ突入した。

 これらの変化も偶然不信派には同時進行的なものにうつっている。

 

 なお、PATMに関しては洗髪・洗顔をやめると症状が大いに改善することが分かった。以降、洗髪・洗顔するのは三か月に一度程度にしている。