2010/02/27 14:30
静岡県焼津市
晴天
MINIに乗りながら
ばあ様の見舞いに行く途中
運転していると
律儀な性格が
すぐにそれとわかる
じい様のナビ
少し煩いくらいが
僕には丁度良い
そーいや
さかなセンターでは
渚食堂の後
親戚の海苔屋に挨拶して
まぐろ照り焼きとハンペンを買った

いわしの黒いハンペン
地元民はこちらをハンペンと言い
白いフワフワの方を
白ハンペンと言う
ハンペンフライはガキの頃から好きだ
また思い出す
ここもガキの頃は水田だらけだった
道脇の農業用水路で
メダカやカエル、ザリガニ
生き物を捕えてはバケツに放り込み
翌朝にはみんな死なせてしまったり
山に山菜取りに行って迷い子になったり
カスケードや裏山、こんな場所が遊び場だった
そう思うと
今のガキの遊びとかって
何してるのか
こいつらが喜ぶ事を
この先、僕が想像できるのか
ツールについていけるかが
若干不安になった
等とモヤモヤしてるうちに
目的の病院に着いた
たかが焼津の病院だろう
とナメていたが
十分な規模と設備も充実した病院だった
MRIが導入されていれば
なんとなくだが
素人目にもそこに同意できる
歳の割に随分と足早な
じい様の背中を追う
エレベーターで上階へ
ナースセンターを素通りし
長い廊下へ
病院のエントランスとは違う
病室、病床特有の匂い
通過する病室のベッドから
すぐに退院出来そうな人
まだまだ掛かりそうな人
そう長くもたなそうな人
そんな人達の視線が
僕達の靴音に注がれた
それ程、日曜日の病棟は
厭な静けさを湛えていた
普段は健康と言う概念を忘れ
自分の楽しい事だけを考え
暮らしてる
ごく普通の事実がありがたい
そう思いながらも
いつの間にか
僕は罪悪感を感じていた
何れにせよ向こうにとって
迷惑な話なんだろう
利害関係の無い者の侵入など
そして
ばあ様に会うと
心配する程では無かったのだ
ただただ喜んでくれた
ばあ様は昔から天然ぽくて
面白くて、優しいのだ
ガキの頃はいつも悪さをしては叱られ
社会人になってからは
全然顔を出さないと抗議されるのだ
不意に
じい様が引き出しから
医師の診断書を取り出し
見ろとも言わず僕に手渡した
内容を改めると
心臓に関する病名が6つ
最後の7つ目に認知症
と、そう書かれていた
あっ、とコレ天然じゃ?
いや天然なのかわからん
しかし診断書見るまで
誰も気付かないって
どういう評価になるのか
内容的には介護一級らしく
重いらしい
近い将来
家族の顔も忘れるのは確実
それは僕も
知識としては知っていた
だが本人も含め
じい様も周囲も明るかった
それはばあ様の人柄ゆえ
そう思う
僕も顔を忘れられたら
何度でも自己紹介すれば良い
そう思った
実際に同居する人は
比較にならん程の負担なのだから
表面上だけでも明るくできるって
多分スゴい事なんだろう
相変わらず
テレビでは津波情報が放送されている
わざわざ速報流すほどの事か?
でもここは港の近くの病院
さすがに心配なんだろう
この界隈ではコレに注目せざるえない
すると
向かい側の病室で看護師だろうか
ニジヨンジュップンに
チリからツナミが来るよっ
きっと
意識が薄いか耳が遠い患者に
大声で繰り返しているのだ
今の時間を気にしてはいないが
その時が近いのかもしれない
テレビの情報によると
津波高さは50~60センチ
なんだか実感も湧かない
そんなレベルだった
ほどなくして、ばあ様に
多分ゴールデンウィークは
また顔を出すよ
と、見え透いた社交辞令を告げ
病院を去り
じい様を実家まで送った
じい様は連休に来るって
思ったかな
2010/02/27 15:30
静岡県焼津市
晴天
今日はゆっくり帰ろう
そう思いながら、
焼津インターに向かう途中
オヤジから妹に連絡があった
オヤジからの連絡は大抵ロクでもない
だから少し不吉だったのだ
今更ながらそう思う
事実とは結果から遡及し
始めて前兆と言うプロセスが
名付けられるもの
結果を知っているからこその
運命なのだ
電話の内容は、
津波の影響で
東名清水~東名富士間が
全面通行止めになったらしい
数秒の思案
仕方ないから
国道で富士まで行くか
諦めるのも決断
しかしこれが
遠くチリからの大きな災いが
僕に届いた瞬間だった
その時に流れていたのは
確かスーパーフライ
「やさしい気持ちで」
ほぼその曲が終わると同時に
僕は一回目の渋滞に遭遇した。
もう少しだけ
つづく