演奏家のための「こころのレッスン」―あなたの音楽力を100%引き出す方法/バリー グリーン; ティモシー ガルウェイ
¥2,520
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私の上の娘(10歳)は、ピアノ教室に通っている。
そのピアノ教室では、毎年「クリスマスコンサート」と称して、
ホテルのレストランで発表会を開く。
その発表会において、ひょんなことから私が娘と連弾することになった。

実は私、ピアノの腕にはひそかに自信があって...ということは全然ない。

子供のころ、いとこがノートにもらってくる花丸が欲しくて通ったピアノ教室は3カ月と続かなかったし。

人前でピアノを弾いたことがないという人間が3週間の猛特訓で、何とか止まらずに弾けるのではないか

というところまでもってきた(ちなみに曲目はディズニーの「美女と野獣」)。

ところが発表会当日、私が倒れて救急車に運ばれ、結局娘は教室の先生と連弾することになった。

というわけで(?)、今回紹介する本。

緊張やその他の雑念に惑わされず、自分のポテンシャルを発揮するにはどうしたらよいか、理論と実践から開設する本である。

インナーゲームという概念を紹介しているのだが、もともとはテニスなどスポーツ選手向けに開発されたものを著者が音楽用に組みなおしたもの。

とにかく実用的で、考えようによってはビジネスにも応用可能、ということで皆さんに一度お読みになる(できれば買っていつも手の届くところに置いておく)ことをお勧めする。

河合 香織
セックスボランティア

この本は、酸素ボンベをはずして、生命のリスクを犯しながらソープランドで行為に及ぶ69歳の身体障害者の話で始まる。


そんな性欲ばりばりのじいさんが、人生唯一の恋人には、15年間の交際の中で「好き」という言葉すら発することないまま、恋人は自殺してしまう。

そして、23年ぶりに元恋人の墓を発見し、墓前で初めて好きという言葉を口にする。


そんな第1章のラストシーンに思わず涙しそうになった。イトーヨーカ堂のお客様ベンチでおばさんやじいさんに囲まれながら。


しかし、そんな自分の感傷は、「自分は障害者でなくて良かったな。」と確認するための卑怯な感慨ではないかとも思った。


ところが、本書を読み進めていくうち、健常である自分の幸福を感じるなんて甘い考えは吹っ飛ばされる。


障害者の性という、ある意味極限が顕わになる世界をみていくと、

いやおうなく自らの性に向かい合わされることになる。


性欲はある、セックスしたいから風俗(あるいはセックスボランティア?)を使う。でも本当に欲しているのは恋人。

たとえ結婚したとしても性はずれていく、それは2人の関係がずれていくさまをも表していてもの悲しい。


...て、障害者も健常者も(こういう分け方自体がどうだか、という気もするが)関係なく、悩んでいることではないか?

と、たいして恵まれた性生活を送っているわけではない評者は考えてしまった。





久しぶりの更新。またぼちぼちやるのでよろしく。


今回、まずは


保坂 和志
世界を肯定する哲学

「世界の中心で愛を叫ぶ」という映画で、長澤まさみ演じる女の子が、

「私が死んだあとも、世界は存在し続けるわ...」

とテープに吹き込んでいるシーンがあった。


本書は、そのような実感を得るために、いろいろ面倒くさく考えていく、というもの。


確かに、自分の死とともに世界が終わってしまうような感覚(実は多くの人がそういう感覚では?)が、オウム真理教のような考えを生む根っこにあるような気がするので、このような哲学的思考は大事かな...と。



次は、

塩野 七生
ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉

帝国の全盛といえるトライヤヌス帝の治世についてのもの。

働き者のトライヤヌスという感じで描かれている。


先般このシリーズは最終巻が公刊されたのだが、私が読み終わった部分はまだ最後まで遠い...


金子 達仁
泣き虫

サッカーのノンフィクションで知られる金子氏の、初の書き下ろし、とのこと。

プロレスラー高田延彦の半生を描いた。


実は、評者は新生UWF(前田選手を中心としたやつ)の大ファンで、会場にも何度か足を運んでいた過去がある。

それも20年近く前の話になるのだが...

そんな評者からすると、高田選手が

新生UWFの戦いをリアルファイトだと疑わない人たちに一番複雑な気持ちを抱いていた

と言っているのを読むと、やはり切なくなる。


プロレスファンというのは、自分の信じていたもの(新日本プロレスのストロングスタイルとか、前田最強説とか)を裏切られる体験をしたり、ボクシングファンから馬鹿にされたりといった経験を経て、世の中の裏表というものに気づき、成長していくのである。


本書の主張では、PRIDEで行われているのが本当のリアルファイト(本当のリアル、て?)ということらしい。

しかし、先日の桜庭選手の試合(PRIDEではないが)とかは、途中から失神状態であるのが明らかで、そういう状態の試合をレフリーが止めないというのは?しかも最後桜庭選手が勝ってしまうというのは、何らかの筋書きが存在するのでは?と疑ってしまう現在の私なのである。


ともかく、プロレスラー個人として、さらに中小企業の社長の苦労話としても、面白く読める本である(なんのこっちゃ)。



 ちゃんとレビューにしていると、更新する気力がなくなるので、とりあえず読書メモ的なものを作っておこうということで。


中国新聞文化部
男が語る離婚―破局のあとさき

離婚後の悲惨な状況でも描いているのかと思って読んでみた。

そうすると結婚生活に前向きになれるかもということで。


...実際に読んでみると、


どうしようもない結婚生活を送っているぐらいなら、

前向きに離婚すべきでは


という内容だった。



と、ここで、結婚生活を前向きにとらえるために

東山 紘久
プロカウンセラーの聞く技術

を読んでみた。


というのは嘘で、仕事の役にでも立たないかと思って手にとったのだ。


しかし、夫婦関係の改善にこそ役に立つのでは、という内容。

「ちゃんと話を聞いてるの?」と妻に言われることがしょっちゅうの私にとっては読むべき本だったかも。

(もっとも、今後きちんとした聞き方のできる夫になれるかどうかは自信なしだけど。)


他の「聞き方」本と比べても、実践的かつ積極的な内容と思われる。


次に
村上 春樹
‘THE SCRAP’―懐かしの1980年代

雑誌「NUMBER」に連載していた記事が中心

アメリカの雑誌が何冊か編集部から毎月送られ、それについての感想めいたエッセイを綴る、という企画


村上春樹のブログみたいな感じ

で、それ以上でも以下でもなし。


話は変わるが、今村上氏はノーベル文学賞の有力候補、らしい。

もしも本当に受賞となったら、私より上の世代にとっての大江健三郎みたいなものだろうか?

とにかく持ち上げる奴、批判する奴と両方からうるさくなるんだろうな。

すでにその兆候はあるようで、村上研究本は両方の立場から出てきているようだ。








久田 恵
母のいる場所―シルバーヴィラ向山物語

この本、映画化されているそうで。

まったく知らなかった。失礼。


著者の他のエッセイも読むと、対父親、対息子、そして対母親と、大変な人生を送っているなあ、というのが素直な感想である。

息子の不登校、言葉を失った母親の介護、その他の困難に前向きに取り組んでいくのが偉いなあ、と。


本書では、笑いと涙の配分が見事で、途中から一気に読みきってしまった。


以前にも別の記事で触れたが、久田氏が週刊文春に書いた読書日記の中に、

「母親とは苦労を家族に売りつける商売である」というような内容の文章があった。

その冷静な分析が非常に印象に残っている。

その著者にして、というか、その著者だからこそ、というか、強大な母親の影響の下もがいていたのだなあ、というのが本書からうかがえる。

やはり親子の愛憎というのは、理性の分析を超えたきっついものなのか、と溜息が出る。


著者について、社会派のルポライターというイメージが先行していたが、実はこの本が一番好きかも知れない。お奨め。


矢幡 洋
自分で決められない人たち

7月9日の本欄でもちょっと紹介した本だが、非常に示唆されるものがあったので、改めて紹介したい。

心優しく、世話好きで、謙虚で、腰が低く、控えめで、明るく、付き合いやすく、自分がなく、自信がなく、他人任せで、実行力がなく、気弱で、保守的で、存在感のない人たち」すなわち依存性性格者について語った本である。

このような性格の人は、日本人に最も典型的に見られるパーソナリティーだそうだ。

確かに、本書にあげられる依存性正確者の特徴は、誰でも身近に知っている人の様子であるだろう。


実は、私が一番思い当たったのが、義理の母である。

彼女は、とても人に気を使う。自分がそのために疲れきってしまうくらい。

そして、家族の中(夫、2人の子供)では、絶対的な権力者として振舞っている。

なにも表立って強権を振るうわけではない。ただ、自分の思ったとおりの方向へ家族を向かわせるため、自らは直接的な言動は何一つせず、周囲に自分の思うとおりの発言をさせるのである(大げさに言うと、彼女が眉一つ動かすだけで、周りの家族がその意思をそんたくしてしまうのである。実際外から見るとかなり奇妙なのだが。)。

まあ、専業主婦というのは、多かれ少なかれ、そういう傾向をもっているのだとも思うが。

彼女を見ていて、支配欲と依存心の二つがバランスを失うぐらい肥大化しているなあ、と思っていた。しかし、本書を読んで、そもそも支配欲と依存心が同一の根を持っているのだということに気づいた。


個人的な話はそのぐらいにして。

本書は、単に伝統的な日本人の依存性をまとめているだけではない。

最近の著者の研究から、現代の日本人にネオ依存症と呼ぶべき新たな事態が発生しているというのだ。

そもそも依存性性格には、他人を思いやるといった肯定的な特徴もあったのだが、ネオ依存症は、そうした対人関係の調整をもはや回避してしまっているのだと。

確かに、今の若い人(嫌な言葉だけど)を見ていると、本当に狭い、自分と趣味の合う人間だけで群れていて、異質なものを排除する傾向が(その典型がイジメ)強まっているように感じられる。さらに、アンケートなどで、他人に求めることの第一番目が「空気を読めること」だったりする、というのは、著者の主張を裏付けるものであるという気がする。


そんなわけで、自分の隣のあの人を理解するために、さらには日本の近未来を予測するために、ぜひお勧めの一冊。


R25というフリーペーパーの最新号末尾のエッセイで、石田衣良氏が、サッカー日本代表の姿は日本人の姿そのものだったと語っている。


 献身的に体を張って守り、中盤ではよくボールをつなぐ。それなのに敵チームのゴールに近づくほど、やさしく遠慮がちになり、決定的なチャンスを波風がたたないようにはずしてあげる。~

 ~組織を守るために走りまわり、本来の業務とは違う場所で汗かき仕事をして、いざというときには自分が目立つのが嫌さに、横パスをまわしあう。~


すなわち日本代表は決定的に日本人であった、と。

心優しい石田氏は、そんな日本人や日本代表が結構好きだと語る。

しかしなあ...


一方、4年前に出版された本であるが、ノンフィクションライターの金子達仁氏は、その著書

金子 達仁
彼らの神

の中で、日本のスポーツが世界に通用しない現実に憤ってみせる。

オリンピックでのメダル獲得数やサッカーワールドカップでの戦績を統計的に分析し、人口数及び経済的実力に比し、日本がスポーツでの成績が余りに振るわないとし、その原因と対策を唱える。

主張の中心は

「もっと金を掛けろ(インフラ整備しろ)。」

ということであるが、自分で考えることを習慣としていない日本人のメンタリティそのものが、集団の中で個性を発揮することが必要な集団スポーツ(サッカー、ラグビーその他)で外国に遅れをとる大きな原因としてあげられている。


サッカーワールドカップをみていると、各国の国民性が(精神面、体格両面で)見事なまでにあらわになる。

今回の日本代表のようにそのマイナス面(まあ、長所とも言えなくはないが)を鏡で見せられたような試合を見ると、憂鬱もつのるというものである。


そんな日本人のメンタリティを見事に分析したのが、

矢幡 洋
自分で決められない人たち

である。著者の言う、依存性性格者、すなわち

心優しく、世話好きで、謙虚で、腰が低く、控えめで、明るく、付き合いやすく、自分がなく、自信がなく、他人任せで、実行力がなく、気弱で、保守的で、存在感のない人たち

が、日本人の最も典型的なパーソナリティーであるというのは、首肯できるところ。


こんな、スポーツとは一見無関係な本を読んでも、

「これじゃあ、子どもの教育から根本的に変えないと、日本のサッカーが世界の一流に伍して戦うのは無理だなあ...」

と悲観的になる今日この頃である。

世界に通用するような選手というと、中田英寿のような、自立性が強く、日本社会からははみ出てしまうような人だし。

本書を読んでいると、妻が、

「この服どうかなあ、あなたはどう思う?」とか、「今度お母さんの集まりがあるんだけど、行った方がいいかなあ、行かないと悪く思われるかしら?」

とか言っているのを聞いても

「てめえなあ、そんなだから日本のサッカーがいつまでたっても強くならねえんだよ!」

と言ってしまいそうになる自分が...気をつけねば。


 

東 浩紀, 笠井 潔
動物化する世界の中で―全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評

他人の喧嘩というのは面白いものだ。

そこで論争というものが売りとなるひとつのジャンルであるわけだが...


本書は、1948年生まれの笠井潔と、1971年生まれの東浩紀という2人の批評家が往復書簡を交わす形となっている。

しかし、二人の対立は、そもそも議論の土俵をどこに設定するかのところで先鋭化してしまっているため、評者からすると、内実のある議論はほとんど行われていないように見える。


この本から評者が分かったことは、次の二つ

①全共闘世代とエイティーズ(乱暴なわけ方だが)の世代の溝の深さ。及び、人が批評活動を行うにあたって、自らの世代的影響から脱することの不可能性。

②思想や文学の言葉が、現実に対する影響力をほとんど失っているのが現代の状況だということ

である。


まあ、評者がもっと哲学的教養を身につけていたら、この本からももっと豊かな示唆を受けることができるのかもしれないのだけれど。


以下は蛇足。

東浩紀という人の中心的な著作を読んでないので、特異な形のこの本だけで評価を下すのは余りにフェアでないと思う。

ちなみに、次の本

東 浩紀, 大澤 真幸
自由を考える―9・11以降の現代思想

この本は、現代において自由がおかれた危機的状況について適切な問題設定をしているように思われる。

監視社会が現実のものとなろうとしている中で、それに対立する自由を唱える側の内実が「こっそり悪いことをしたい」自由では無力でしょう、と言われると痛い。

実際、GPS機能付きの携帯電話を持ちたくないのは、妻に居場所まで筒抜けではかなわんというのが本音なのだから。

少なくともこちらの本は面白く読めたし、自由というものについて真面目に考える気があるのであれば、ぜひ読んでおくべき本だと思う。


評者ももうそれなりにいい歳なので、仕事においては「部下」というものもいて、チームの方向性について決断をすることが必要になる場面というのも多々ある。

自分が思うのは、決断するにあたっては、「迅速で明確(正確、ではなく)であること」が必要不可欠であるということだ。

決断が遅れると、そのことで致命的な事態に陥ることがある。「正しい決断をしなければならない」というプレッシャーをかけてしまうと、決断自体ができなくなってしまう。また、決断(指示)が不明確であると、部下は動きようがなくなる。そこで、多少リスクがあろうが、素早く明確な決断をすることが何より大事なことになるのである。


まあ、そう偉そうに言っても、日々迷いながら何とか切り抜けている、というのが現実ではあるのだが。


そんな迷いの中で、一つの指針を示してくれる本が、題名ズバリの

羽生 善治
決断力

である。


とりあえず、本書にあげられているエピソードを紹介しよう。


 アメリカのカーネギー・メロン大学でロボットの研究をしている金出武雄先生から、面白いことを聞いた。学生を指導するときには、「キス・アプローチでやれ!」というそうだ。キス(KISS)というのは"Keep it simple,stupid”の頭文字である。「もっと簡単にやれ、バカモン」という感じだという。


という話である。要するに、決断の場面では、いかに物事を簡単に考えるかということが大事になるということだ。実際、仕事をしていて、この話を思い出すことも良くある。


...というわけで、シンプルに筋道を考えて明確な判断を下すというのは、仕事に限らず、日常生活においても大切だと思う(ひとつの買い物に何時間もかける妻を見るに、特にその思いを強くする)のだが、ただ、そのような思考に慣れていると、思わぬ錯誤に陥ることもあるわけで、次の本を併せて読むことを薦めたい。

その本とは、


西林 克彦
わかったつもり 読解力がつかない本当の原因

である。


この本自体は、大学受験の現代国語対策というような体裁になっているのだが、一般の人にも役に立つと思われる(少なくとも評者にとっては考えさせられることが多かった)。


シンプルに考えることは大切かもしれないが、そこである筋道が見えて「わかったつもり」になっていると、読みが不充分であったり、ときには間違った方向にいったままになってしまう。しかも、わかったつもりというのは心理的に一つの安定した状態であるので、そこから抜け出すにはかなり意識的な作業が必要になるということを教えてくれる。

全体を大づかみすることと、部分を詳細に検討することの両輪をどのようなバランスでとっていくか、それはこれからの課題になってしまうのだが...


蛇足になるが、本書の最後のほうに記述がある、


マークシート式の国語の問題において

「もっとも適切なものを選べ」

というのは、

「次のような解釈があるとする、このうち可能なものはどれか。可能なもでないものはどれか」

と読み替えるべきである


というのは、もしあなたが現役の受験生であるのならば役に立つアドバイスと言えるだろう。