ま、確かに絶対と言う言葉は、ないだろう。

例えば、私は、スピ批判を言っているが、この批判は絶対じゃない。

理由は、批判対象と、観点が違うからだと思う。


例えば、前スピ主催者が、私のブログを見ても、

彼はなんとも思わないだろう。

嗤ってる。

だって、その通りなんだもん。よくわかったじゃんだから何?って感じかな。

彼はスピリチュアルを、利用して商売する人。

だから、スピリチュアル理論の視点で、批判しても、私の感情論で批判しても、痛くも痒くもないの。


他人を傷つける事に、罪の意識はないと思うわ。

スピ主催者の責任の意味が、スピリチュアルと違うから。

自己流の宗教を作る。尊敬される。
ビジネスをする

これが、彼の責任であり、他人の心は、関係ない事だからよ。

自分の商売スピの為に盗めるものがあるかどうか?

それだけだと思うわ。

色々なブログからのコピペは、彼にとり、全く問題ない事なの。

広告のコピーライターみたいなもんよ。


信者の尊敬を集められる言葉探し。

そんな感じだと思う。

頭よいのよ、彼らは。

例えば、私達は、宗教ではない。

と、言う。

しかし、彼らが使う言葉は、全てほとんど宗教からとり出し、自己流に、組立てる。

宗教ではないと言いながら、宗教からの言葉を使い主催者から飛び出す
宗教からの言葉が、信者を魅了してんの。

私達は、宗教ではない。


その通り。

彼ら一部のスピは、宗教ではない。

商売。


の、視点で見て行くと、彼ら一部のスピ主催者の言ってる本当の意味がよくわかる。

信者さんは、純粋な人もいるのだろうとは、思うけど。

一部のスピ主催者は、多分、スピリチュアルを使った洗脳ビジネスをしてるんだよね。


あくまで、一部だと思うけど。