みみず | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

それからの日々はあっと言う間に過ぎていった。

お稽古に次ぐお稽古であったけれど、お稽古をこなすだけならむしろ受動的であるように思う。

親鳥からやわらかなみみずを渡されているのと同じことだ。


長くて短いひと月だった。

来る日も来る日も棒を片手にキャンパスをかける私たちのそばでは、するするとひもをほどくように季節が変わっていった。

風の匂いが変わり、道行く人の服装が変わり、夕日の色が変わった。


毎日の稽古は達成のためというよりも、むしろ、破局の回避のために行っているような気がした。

傷ついた巨大な生物が海底にしずんでいこうとするのを、必死に引き上げようとしているような感覚だった。


厳しさであるとか、充実であるとか、そういうことは大したことではない。

何かをこなしつづけることも、それほどたいしたことではない。

大きな成功をおさめることも、遠くまで歩いていくことも、つまらないことである。

成功や名誉を志したこともあったけれども、それらはむしろ副次的な問題なのだ。


ぼくはただの突き一本、ささやかな挨拶ひとつ、できない。

それがどれほどむつかしいことなのか、まるでわかっていない。

おそらく自分がわかっていないことも、ほんとうはわかっていない。


あのときほんとうにやりたかったこと、なりたかったひと、思い描いていた夢は、そこへ行けば、出会えるように思う。

どこまでも深いわからなさのなかで、冷えたビールと引き締まった秋刀魚の刺身とあたたかいおしぼりとおだやかな和紙照明とふかふかのソファに取り囲まれて、ぼんやりとした意識で考える。


自由は謎めいていなければならない。