あー、わかった気がする。
いや、わかんない、って言ったほうがいいかも。
西田幾多郎の精緻な論理を「てけとー」に
スキップして、高いところからの景色を
先取りして見せてもらったのだけれど、
「主客未分の純粋経験」というのが、
びびっと来たような気がする。
「わかった」って言ったら神はブタだ。
本当に正しいこと、善いこと、美しいこと、
<世界>(そのもの)について、僕は
絶対に語りえない。
「語りえぬものについては沈黙しなければならない」
物自体は、既に常に、過ぎ去ったものだ。
銀行強盗というのがいかに野暮かってのがわかる。
例えば、僕たちは、今、トランプゲームをしている。
銀行強盗というのは、となりの奴に拳銃を突きつけて、
「その強いカードをオレによこせ」、と言うのに等しい。
なんにもわかってない。
考えようともしていない。
寝ぼけてるのはお前らだ!
僕はそれを吹っ飛ばせる。
「これで、おしまい。」
それは、使うと失われるものだ。
交換されている限りで、力をもつ。
だから、「人間」は交換する動物、であって、
「この世界」はゲームなんだ。
<世界>はゲームじゃない。ただの、あそび。
だからフーコーは「真理のゲーム」と言ったんじゃないかな?
そして、<世界>をただ、眺める鳥の目、「シネマ」、とドゥルーズ。
そして、「人間」という、イリヤの夜、永遠の不眠に留まろうと言うので
あれば、他者の顔から逃れられない。
点が線に、って奴?
でも、大事なのは、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、
ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと」だ。
血肉になる、というのは、公園で遊んでる子供に説明できる、
ってことだと思うね。
でも、わかるってことは…たぶんない。
「分割」はある種の悲劇だ、と思う。