ここにひとつの部屋がある。
外開きの、可もなく不可もない木の扉がついた、
クリーム色で何にもないキューブ。
ここを訪れる人々は、この部屋自体には、
何の権威も、意味も価値も感じない。
無味無臭で、どの時点・地点からも等距離な、
ごくごくフェアな部屋だということだ。
今、その部屋のドア正面の壁に、額縁に入れられた
絵をかけた。その絵は絵とは言っても、厚みのある横棒に
半円を被せた黒ベタ塗りのシンプルな影のイラストだ。
僕はこの絵を不特定多数の人に見せたなら、おそらく、
「これは麦藁帽子の絵だ」といわれるだろうと思う。
うん、僕の思う、「みんなの声」だと、そうなる。
これは、「(僕の思う)常識」的に考えて、麦藁帽子と
呼ばれる可能性の高い絵だ。
そこで、僕は額縁の下に、銀のピンでメモを留めた。
メモには、「これは麦藁帽子ではない」と書いてある。
ここに、僕の思う、一般的な感性の持ち主が入って
きたら、たぶん、彼/彼女はこう言うだろう。
「麦藁帽子の絵だ。・・・違うの?じゃあUFOだろうかなぁ」
じゃあ、僕だったら、どうだろうか。
僕は、可もなく不可もない木の扉を手前に開いて、
クリーム色の、ほとんど何にもない部屋に入った。
壁には、額縁に入った「厚みのある横棒に半円を被せた
黒ベタ塗りのシンプルな影のイラスト」がかかっていて、
その下には「これは麦藁帽子ではない」と書かれたメモが、
銀のピンで留めてある。
僕は、その絵と、メモを見て、「ウワバミの絵だ」と言った。
じゃ、今度は「これは麦藁帽子ではない」と書かれたメモを
外してしまおう。壁には、額縁に入った「厚みのある横棒に
半円を被せた黒ベタ塗りのシンプルな影のイラスト」が残された。
もし僕がここにはじめてきたのであれば、この絵をなんだと
思っただろうか。
僕はやっぱり、「ウワバミの絵だ」と思っただろう。
僕は、『星の王子さま』を知っているから、これをまず初めに、
「一見、麦藁帽子だが、実はウワバミ」であると理解する。
だから、僕がこの絵を麦藁帽子だと理解するためには、
むしろ「これはウワバミではない」と書かれたメモを用意
しなくちゃいけない。
そして、理解に至るまでに、「一見、「一見、麦藁帽子だが、
実はウワバミ」だが、実は麦藁帽子」というプロセスを踏まな
くちゃいけないのだ。