ぐちります | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

どうも、こんにちはひょろです。

なんかなんにもまとめちゃあいないんですけど

すごい言いたいことがいっぱいありましてとりあえず

王様の耳はロバの耳。


なんかサキヨミみてたら北欧マジクール日本は

もっとがんばれみたいなことやっててだいたいは共感した

んですけど日本はとりあえず子供をふやすべきですよね

そのためにはなにをすればいいのかなあとおもったんだけど

とりあえずこどもの医療費を国で負担とか義務教育無料化を

徹底したりもいいよね。どういうことかっていうと教材費も税金を

あてて義務教育完全無料化です。こどもへの投資がまわりまわって

社会に反映されるみたいな市場原理に学校がのまれるとかあほか

みたいな代替労働消費者ソースとかおまえおれはそこに還元されない

かけがえのない「打ち捨てられえない」Ghostマジで信じてるから笑わば

笑えばーか!!ドブ川で顔洗ってお目々覚ました方がいいですよ。


ってかまず僕には選挙権がねえ!!!


僕は差別完全撲滅なんてことは言えないんじゃないかと思うんだ。

少なくとも僕は僕がそれまでよくしらなかった事物にたいして自分が

蔑視してしまうことを禁じえない瞬間がある。そういう内面の差別を

完全に追い出すことは不可能では無いだろうか。僕がまだ知らない

ことは世界に満ちていて、初めてであったものを正しくはんだんする

なんて、僕にはできないんだ。それがGoogleの限界な訳で、つまり、

僕たちがまだ知らないコトバを検索することができないという壁じゃあ

ないだろうか。


しかし、社会的な、あるいは構造的な差別は別だ。例えば人種だとか、

血液型だとかで就職できなかったり、結婚できなかったりというのは

僕はそれはおかしいと直感的に思う。そういうものは法によって規制

されるべきなんだろうか・・・。それから、宗教に関してはどうだろうか。

肌の色や、血液型によって恋人を選ぶというのは嗜好によって選ぶ

ことが許されるのと同じレベルの話なんだろうか?


来歴は不問というのがネットの匿名性のメリットということだと思うん

だけどそれは、僕たちがまだしらなかった新しい情報について学ぶとき

の不自由さと一致するように思う。より正確に言うと、新しい情報に

対して少しばかり寛容な態度をとる、つまり小学一年生が微積分を

知らなくてもバカにされないのと同じで、知っていることそれ自体には

もはや価値が無いのであれば知らないこともなんら問題が無いという

ことなんだ。


その代わりに、そういうときに「お前知らないの?うわっ遅れてる」という

ヤツがバカにされるような「空気」、不文律ができてくる。


○○は△△だという断言なぞありえない。

新しいスレがたった時点ではその参加者はすべて同じスタートラインに

立つ。機会の均等であって、それについて何も知らない人間がそこに

いるのだから責任もとらないし、間違ったことを書いても許される空間

なんだということかな。


「共有」できるものは代替可能であって、それを知っているのが僕

である必要は無い。電脳化すれば、「知識」のコピーは「ただ」で無価値

化されるということ。


そこで場はそこにいるその人がどういう態度であるのか、あるべきな

のか、というフォルマリズムに陥るんじゃないだろうか。


何でも構わないんだけど、とある情報を学ぶ課程で得た、どんなこと

にも通じるような態度、あるいは文脈から読む力=リテラシーが要求

され、その強度、その堅固さ、あるいはネタの深さ、文脈を作る力、それ

をより知っている人、あるいは自分が知らない文脈である可能性がある

なと、「バカにしない人」。そういう人がソンケーされる。たぶん、日本は

文化が恵まれているから、そういう体験の反復の中で「スノビズム」が

洗練されてきたんじゃないか。


あるいは、特定のコード、文脈を読む力、たとえば省かれた主語を読む

力、わかる人が村のウチの人、わからない人はヨソの人、わかる人が

私の友人だというロジックに古くから慣れ親しんできたんじゃないだろう

か。


あるいはあるいは、ずーーーーっと大陸中国の衛星国家だった日本

は、そんな「価値転倒」なしにはアイデンティティを保てなかったの

かもしれない。



民主主義のテーブルを信じたいなと思う今日この頃。

すぐ人を馬鹿にしちゃうような弱い人を僕は責められない。

たぶん、そこに、チンプにしか見えないその光景の内に、僕の知らない

文脈の可能性を見て取ってしまうからだと思う。


しかし・・・人を傷つけるヤツがいたら、そいつは多分、間違いだ。


僕は真理を知りえないとしても、それを問うことをやめられないし、

やめないことによって僕ははじめて立ち表れてくるのだし、人生とは

たまねぎであるのだし、僕らが勉強しているのはミスタ・オニオンズの

文法方式であったのだなあ。


国益もウソだし、日本もウソだ。

パトリへの愛を否定はしないけど、今ここにいる人間が一番だよな。





立場を表明しとく。アンタイ在特会。

そんな主張するような弱さは許すけど、暴力は許さんよ、おいらは。




以上。