「お酒」を巡って新大学生「他」の間で議論が起こってますな
□溜息|募集中のブログ
http://ameblo.jp/reineralice/entry-10236466665.html
うわっ!リア充乙!!(お約束)
コメント欄だとちょっと長すぎるのでエントリにまとめました。
■□■□酒は身体によくない?から、呑まない■□■□
まず、僕の基本的な立場を書く。
僕は現在18歳です。
酒を呑んだ経験はほとんどない。
食前酒で出てきたちょろっとを数回と、一回親が飲んでた
グラスのレモンチューハイかなんかを誤飲したことがある。
今はケンコー志向で養命酒を呑もうかななんて
思ってるところだ。
□「養命酒」=栄養ドリンクと考えると、かなり割安
: ライフハッカー[日本版]
http://www.lifehacker.jp/2009/03/post_635.html
僕は酒を基本的には呑もうとは思わない。
理由01:身体によくないらしい、から
理由02:呑む必要がないから
理由の一つ目は、これはどうしてもタバコと
対比して考えられるんだろうけど、身体によくないから。
□「STOP! 未成年者飲酒」プロジェクトについて
http://www.stop-underagedrinking.com/project/index.html#pro02
僕個人としては、科学的根拠のあるなしではなく―つまりは学校の
洗脳・・・もとい教唆ビデオに抑止力があるからではなく―親に
「あんまり呑まない方がいいんじゃないの」って言われたから
呑んでいないだけ。
だから、なんだか身体によさそうな養命酒は健康っぽいツール
として使うことに酒だからという理由からのためらいはない。
理由の二つ目は、僕の周りに「飲ミュニケーション」がないから。
僕が非リア充だから、ではなく、(非リア充ならなおさら必要だ)
さらに酷いところにいるからだ。
■□■□呑む人/呑まない人、東大/非東大というカテゴライズは
無意味である。■□■□
まず、議論の本筋からかなり外れちゃうんだけど、
「あらゆるカテゴライズとは本質的に無意味である」という
考えを書いとく。僕の趣味だ。
カミュの、「知っている」ということのウソについて書いた
文章だけど、・・・う~んうまく説明できないけど引用の
必要がある。
実際、だれについて、何について、「ぼくはこれなら知って
いる!」ということができるだろう。(中略)
この自我を限定し要約しようと試みると、それはもはや、
指のあいだをこぼれ落ちてゆく水でしかない。なるほど、
自我が装うすべを知っているすべての相貌を、(中略)
ひとつひとつ語ってゆくことはできよう。しかし、そうした
相貌の総和を求めることはできはしない。ぼくの心に
他ならぬこの心、それですらぼくにとっては永遠に定義
不能のままだろう。自分がたしかに存在しているということ
についての確実さと、この確信にぼくがあたえようと試みる
内容、そのあいだの溝は、いつまでたってもけっして埋め
られることはないだろう。
(新潮文庫シーシュポスの神話 カミュ 清水徹訳
不条理な論証p38~39辺りから引用)
ニコニコ動画なり、はてブなりで僕が学んだのは、
「タグ付け」の不思議さです。
どこからともなく、タグはやってくる。
その動画なり、記事の「内容」について、一定の
説明を行おうとする。それも不思議。
更に不思議なのは、タグで検索できること、
(言葉がまたわかんないんだけど)タグで
ツリー構造に再編成できるということ。
フラグメントに分解して再編成というところに、変化
しない「一定のパーツ」という虚構が働いているのも
おもしろい。(公式の効用、つるつるとしたもの)
しかし、タグの本質とは何を指すんだろうか。
そのタグがつけられた動画・記事、全部の総和を
求めることはできはしない。
東大と未成年飲酒者とのマトリックスを書くなら、
東大で呑む人、東大で呑まない人、非東大で
呑む人、非東大で呑まない人
がいるのは分かってるだろうとは思う。
多分、感情が許さないんだろう。
だけど、少なくとも今現在の僕は検察や医者を、
その人格ではなく能力で評価する。しかもそういう
評価軸をもっているのは僕だけではなく、こういう
言い方はあんまり使いたくないけど、社会の大多数
じゃないだろうか。例えばインフォームドコンセントは
医者を機械として見ているから主張できる。
盲目的なルールの遵守はそういう流れを黙って
見過ごすことにつながると、僕は思う。
検察を志すなら、当たり前に異議を申し立てろ。
医者を志すなら、当たり前にメスを入れろ。
■□■□ぐれーな大学生の飲酒■□■□
□世界各国の飲酒可能年齢にカルチャーショック!
| エキサイトニュース
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091149686648.html
□未成年者飲酒禁止法 - Wikipedia
多分、ひせふが苛立つことの大きな理由のひとつが、
未成年者の飲酒禁止というルールの曖昧さがあると思う。
そもそも、「20歳でなければならない」根拠は多分ない。
規制する人たちは「健康を損ねるから」というのを理由に
挙げているみたいだけど、
本人が「酒の多量摂取は健康を損ねる」ということを知っている
なら未成年でも飲んでもいいのではないかとも思う。
(繰り返されているけど、「なんでも食いすぎたら身体に悪い」)
「酒を呑んで車に乗る」のがだめなのはわかる。
飲酒は人の自由を阻害する。
事故を起こした人が事故を回避できない状況にあったのなら、
(自由が小さかったのなら)「責任」は軽くなる。
だけど、自由を小さくすると判明している酒を自由意志で摂取して
から車に乗ったのであれば、それは回避できる危機だったわけ
だから責任を取らなくちゃいけないということになるだろう。
未成年者の飲酒は「未成年」だというファクターを考慮しても
「親の判断に委ねる」でいいんじゃないかと思うんだけど、
成年者の飲酒⇒歩いて帰る途中でトラブルを起こす、と、
飲酒運転⇒事故、との間に違いがあるのかがわからない。
僕は酒にそんなにまだ興味も無いし、よくわかんないな。
■□■□個人的なアドバイス■□■□
いずれにせよ、人前では(ネット上の公共空間でも)
「未成年者だけど僕は酒を呑んでるよ」とわざわざ告白する
必要はないし、(何らかの信念があるというのでなければ)
「正論原理主義者」は鼻が利く。
そんなにわかりやすい「まちがったこと」を提供してやる
必要はないと思うよ。
注意されたし。