今日小論の授業を受講してきました。
楽しかったけれども、文系はやっぱり参加者が少なかった。
たったの三人。
これから「つるつるしたもの」についてのリライトをしようと
思うのだけれど、これが結構難しい。
以下、講評の部分、引用。
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筆者は「つるつるしたもの」に惹かれてしまう人間の性
(自分の中にもある、と言っている)を重く受けとめている。
「ボクは嫌い」では済まないがゆえに嫌がらせの無言電話に
深く思考し、深く傷つき何も書か(け?)ないでいる。
もちろんキミの「どうしても」も決して軽くはないが筆者の
重さと比すとまだ傷つき方が足りない。
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僕が思うに、小論が嫌なのは、心理療法チックなところが
あることなんだよね。
たったの千字で先生にずばっと言い当てられてしまったけれども、
講評の通り、僕は「つるつるしたもの」から逃げている。
主張の一貫性というものを評価してもらったけれど、それは
シンプルに言えば「つるつるしたものなんかだいっきらい!」から
来てるなあ・・・と。
とりあえず、この小論を書いてから僕が知ったことの一つに、
「公式の効用」というものがあって、ポジティブな思考停止というものも
あると考えるようになった。(by数学的思考法)
それと、公共性というものはつるつるしたものの上にしか、
成立し得ないかもしれない。
もしそうならば、僕はつるつるしたものを正視して、
どうにか消化していかないといけない。
・・・いずれにせよ、『しかし僕はどうしても「つるつるしたもの」が
好きになれない』とは、この態度こそが僕の嫌うところの
「つるつるしたもの」じゃないかって思います。
にげちゃだめだってね!