「脱構築」実践練習♯01.5 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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補足です。


今日のabsurdum先生のテスト解説を受けて

昨日の♯01がホントに脱構築だったのか

心配になったので、更に簡潔化したモデルを用意しました。


(『たんに矛盾しているだけではだめ。論理に内在している

自己矛盾を指摘するのが「脱構築」。』とのことです。)



言論⇒話(の内容)

言論の自由⇒話す権利


朝日「(橋本の話の内容から)話すのをやめろ」


橋本「(朝日の話の内容から)話すのをやめろ」


j704O5E+0

『「話の内容によっては話者の話す権利は否定できない」

のだから、(橋本は)「話すのをやめろ」と話すべきではない

=(話すのをやめろ)』


⇒「話すのをやめろと言うのはおかしいから話すのをやめろ」


ちなみにj704O5E+0の元のレスは朝日を擁護する

文脈でした。彼/彼女の論理の中だけでも破綻が

生じているような気もします。


ここでも、問題になっていたのは

「公共空間における規範による自由の制限」

についてでした。


それについては追々考えていくとして、

端的に言えば、橋本と朝日の発言(記事)は

知事として、公的なメディアとして、問題だということです。


j704O5E+0は無意識的に議論をすり替えて

しまっています。

これは、「メディアの存在そのものを否定するのはNG」

=「メディアは常に正しい」と信じているからだと考えられます。


それには斉藤環の『「負けた教」の信者たち』の

「メディア幻想」が参考になります。(ちくま評論選に載ってるよ。)


少々間違いがあるかもしれませんが、

とりあえず僕の読後メモを書いておきます。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<メディア幻想>は現代社会を広範に覆う、強力な幻想だ。

メディアが非人格的で価値中立的、透明かつ公正なものと

して錯覚されると、本来虚構に過ぎないメディアが人々の

欲する「公正さ」と「透明さ」を兼ね備えたネットワークで

あり続けるために、<メディア幻想>から遡った地点に

現実との齟齬を隠蔽する為の界面として「媒介的リアリティ」

が立ち現れてくる。


・「媒介的リアリティ」=「第三者の進級」?

「遡った地点に立ち現れる」は「先行的投射」。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ちなみに、テストの「脱構築の具体例を挙げろ」では

『「べ、別にあんたなんかと話したいわけじゃないんだから」

と話しかけられたケース』を脱構築しました。


ありがたいことに○を頂きました^^